Sekiyan's Notebook グローカルニュース〜経営の腑

セキやん通信「経営の腑」


第426号“個を生かす組織のために 〜不作為の状態を排せ〜”<通算741号>(2025年7月4日)

第427号“前向き経営者に寄り添う 〜「客」「収益性」が要諦〜”<通算742号>(2025年7月18日)

第428号“起業者が陥る わな 〜自分見失わせる「酔い」〜”<通算743号>(2025年8月1日)

第429号“裸の王様にならないために 〜事実情報把握が大切〜”<通算744号>(2025年8月15日)

「経営の腑」第426号<通算741号>(2025年7月4日)

個を生かす組織のために 〜不作為の状態を排せ〜
  出典:岩手日報「いわての風」寄稿記事(第25回目 2013年6月30日)

 来年のサッカーW杯への出場をいの一番で決めた決戦の後、本田選手が「日本の強みはチームワークだが、来年に向けていかに“個”を高められるか」と語った。
 その言や良し、である。この組織と個人の関係は、いわば人類永遠のテーマだが、これについて大きな示唆を与える著書が北上市在住の高橋正典氏によって発刊された。
 高橋氏とは、中小企業大学校の講義などで十年以上の付き合いになるが、歯に衣着せぬ言動の仲間で、ウマが合う。氏は、一年ほど前から療養生活を余儀なくされ、その間に自らライフワークとする「リーダーシップ」について体系的にまとめた。それが、「リーダー学のすすめ」である。ところどころ校正漏れがあるのは自社出版で初版ゆえのごあいきょうだ。
 ところで、今シーズンのプロ野球では県人選手が大活躍で、楽しみが増えた。
 地道に活躍する畠山和洋選手や銀次選手に加えて、しっかりと下積みで力を蓄えた菊池雄星投手とセンス抜群の大谷翔平選手の花巻東高出身コンビの輝きはまぶしいばかりだ。県人選手の姿から感じられるように、本来スポーツは、真摯に取り組む姿や勝負の妙によって、人々を勇気づけるものだ。
 しかし、こうした選手たちの勇姿とは反対に、運営組織体のお粗末さが取り沙汰され、残念だ。日本相撲協会、全日本柔道連盟のゴタゴタに続き、今後はプロ野球の統一球変更の不手際が明るみに出た。
 これは、スポーツ界のみならず、他の企業や組織にも共通する事柄だ。
 高橋氏は本書で、こうした不祥事を起こすような組織を「不作為の状態」と呼び、あってはならない状態としている。これは「あえて積極的な行為をしない状態」であり、いわゆる大組織病と言い換えることができよう。
 大組織では、本来の目的が忘れられ、日々の手段が目的化し「不作為の状態」に陥りがちだ。
 それを防ぐには、幹部は思考停止用語や思考停止態度を厳に慎むべきと、氏は指摘する。
 思考停止とは、頭を働かせない、脳の活動を委縮させる、やる気や元気をそぎ落とす、心を折ってしまう、というような状態のことだ。
 いわゆる「固まった」状態にメンバーを追い込む劣悪な状況であり、メンバーは「積極的に動かない」ので、組織は停滞・退潮し、個性も発揮されない。
 もしかしたら雄星投手も数年前にはこうした状況の中で伸び悩んだのかもしれない。
 また、ある企業では顧客第一・社員優先という方針を掲げる社長が、それとは裏腹に顧客への不誠実な対応が常態化していた。
 いくら「社員さん」と猫なで声で呼ばれても、言行不一致の社長には信頼感など持てず、「不作為の状態」となり、組織は停滞し退職者が続出した。これは県外企業の例だが、県内経営者は他山の石としたい。
 一方、紆余曲折を経て日ハム入りした大谷選手の見事な活躍ぶりはどうか。それは、栗山監督以下のチーム内が「不作為の状態」と対極の「革新軌道にある状態」にあるという見方ができる。
 この「革新軌道にある状態」では、望ましい状態(理想・ビジョン・志・目標)の実現に向けて、なすべきことが明確化される。それが次々実行され、問題も積極的に提起・共有され、解決に向けた行動がスピーディーにとられる。
 大谷選手や今年の雄星投手の場合は、こうした革新軌道の組織で育まれ、本来の“個”が伸びやかに発揮されている。
 高橋氏の著書では、組織のあるべき姿「革新軌道にある状態」とそこに至る道筋も明快に説明されている。現場を踏まえ実態に即しているので、賢明なリーダー諸氏には是非ご一読願いたい。

出典:岩手日報「いわての風」(2013年6月30日)寄稿記事へのリンク

「経営の腑」第427号<通算742号>(2025年7月18日)

前向き経営者に寄り添う 〜「客」「収益性」が要諦〜
  出典:岩手日報「いわての風」寄稿記事(第26回目 2013年10月27日)

 地元の信用金庫や市町村などの出資によって昨年立ち上がった「もりおか起業ファンド」の投資先は5社を数えた。かつてはファンドといえば「ハゲタカ」などとやゆされたこともあったが、このファンドの目的は創成期にある地域企業が最も経営の不安定な時期にかじ取りを間違えないように支え成長してもらおうというもので、投資額そのものは数百万円程度と小規模だ。
 その活動の最大のキモは、投資先企業の経営に対して密接に関与していくところだ。
 投資先の経営者に寄り添い、月次チェックを重ね、業務サイクルPDCA(プラン計画〜ドゥ実行〜チェック評価〜アクション改善、の頭文字)を回しながら業績向上に励んでいる。
 既に黒字化はもとより大幅に業績を伸ばしている投資先もあり、今後も大いに楽しみだ。今回はこうした企業群を含め、業績が好調な企業の共通点、いわば業績向上の要諦を2点に絞って述べたいと思う。
 第1点は、「お客さまありき」を徹底することだ。企業経営の源となる収入はすべて「お客さま」が支払ってくれるものだから、ここがすべての原点であることを忘れてはならない。
 その意味で、迷ったり悩んだりした時は、お客さまに教えを請うのが一番だ。最良の経営助言者は、職業コンサルタントなどではなく、「お客さま」そのものなのだ。
 そして、お付き合いする限りは、とことんご要望に応えることだ。要望に応じれば、喜んで代金を払ってくれるのも「お客さま」なのだから。
 ただし、企業が尽くしている割に、評価をしてもらえない場合もあるから、やはり事業は難しい。
 たとえば、たくさん手間をかけてご要望にお応えしたのに、代金の方は値引かれるようなケースだ。日常的に頻繁に起こり、どの企業でも頭を痛める。
 これにどう当たればいいか? それを解決するのが、第2の要諦だ。
 それは「収益性を正しく把握する」仕組みを持つことである。
 事業経営で陥る大きなワナの一つに、財務会計方式だけで収益性を判断しようとして、個別商品や顧客ごとの収益性が正確に把握できないことが挙げられる。
 詳細は専門的になるので省略するが、その対策として管理会計という別の方法が考えられた。平たくいうと、管理会計は「どうやったら、もうかるの?」を検討するための会計である。
 従って、まずは財務会計を管理会計に組み替える必要がある。この管理会計の重要性については、JALの経営再建で名をはせた稲盛和夫氏も常に指摘しており、京セラのアメーバ経営も管理会計なしでは成り立たないのである。
 蛇足だが、私が推奨するやり方は、アメーバ式よりかなりシンプルで中小企業向きだ。
 いずれ、第1の「お客さま」志向に徹したとしても、第2の「収益性」を正しく把握しないと、事業経営は維持継続できないので、二つの両立が事業経営の要諦となる。
 このことを経営者が心底理解し納得して取り組むことで、目指すべき方向や取るべき戦術が明確になり、見違えるように業績が好転する。
 本欄で繰り返しているが、私のもっぱらの関心は社長ではなく、そこで真面目に働いている従業員の皆さんにある。業績が低迷し不本意な待遇に甘んじている従業員に何の経営責任もない。
 そうした状況を打破するのはひとえに社長の力量による。だから、一人でも多くの経営者が真に自律した社長として活躍できるようになってもらうことが、当地で真面目に励んでいる従業員の皆さんに報いることにつながる。だから、今後もこうした活動に心して取り組んでいくつもりだ。

出典:岩手日報「いわての風」(2013年10月27日)寄稿記事へのリンク

「経営の腑」第428号<通算743号>(2025年8月1日)

起業者が陥る わな 〜自分見失わせる「酔い」〜
  出典:岩手日報「いわての風」寄稿記事(第27回目 2014年3月2日)

 縁もゆかりも無い当地で起業し、今や県内業界のトップとなったS社長の座右の銘は、高杉晋作の言とされる「凡人なるものが物事を成就するには狂を発揮せざらん」だ。
 S社長のような筋金入りの起業家はもとより、自営業者のはしくれとなった自分の17年前を振り返っても、起業は日常から非日常へのダイビングのようなもので、それなりの覚悟や思い切りが要る。
 だから、起業時は例外なくある程度の「ハイテンション」状態となっている。これは、アルコールによる「酔っ払い」状態と似ており、判断力は正常とはいえない。根拠のない強がりにすがる、虚勢を伴うハイの状態だ。
 そして、これに拍車をかける一団の登場だ。
 それは、迷いなくかつ悪気なく心底から良かれと、起業者の支援に乗り出す商工関係や行政などの支援機関だ。こうした善意?の第三者がハイテンション状態を助長する片棒をかつぐ。
 たとえば、霞が関が「起業支援」にかこつけて予算を確保する。そして、やみくもに補助金を関係先にバラまく。
 その補助金で地域の支援機関が創業者向けのセミナーを乱発し、内輪の起業者を先進事例として祭り上げほめそやす。そこに新ネタが欲しいマスコミが飛びつく。テレビ・新聞に取り上げられ、起業者群はさらに酔いが増し自分を見失う。
 誤解を恐れずにいえば、こうしたピント外れな動きが、純粋な起業者をほろ酔い状態から酩酊(めいてい)状態へと誤誘導してしまう。
 しかし本来、起業者が相手にしなければならないのは「個客」や「市場」なのであって、決してお上やマスコミではない。
 現に、市場では既存業者を含めた熾烈(しれつ)な戦いが展開されている。こうした厳しい戦場に、素人同然の新参者が「酔っ払い」状態で参戦するとどうなるか?結果は、火を見るより明らかだ。
 だから、起業時点まではほろ酔い気分でもやむを得ないが、起業後は一刻も早く「シラフ」になって、熾烈な戦いに臨まなければならない。そこで、以下に真っ当な起業者が心得るべき事項を二つ挙げてみたい。
 まず第一は、事業経営は顧客活動である、という真理を受け入れることだ。
 事業はお客さまに評価され感謝されて初めてその対価が得られる。
 ところが、補助事業に慣れてしまうと、どうしてもお上に目が行き、もっぱらの関心が顧客から離れてしまう。
 「お上カクテル」の飲み心地の良さにだまされて、はまってしまわないよう要注意だ。これが過ぎると、事業経営の腰が抜けてしまって立ち上がれない。
 第二は、自律モードを堅持することだ。
 起業前後は心細く不安でいっぱいだ。だから、つい同じ境遇の仲間と群れたくなる。もちろん励まし合い切磋琢磨(せっさたくま)する同志であれば良いが、ともすれば傷をなめ合うグループも少なくない。
 起業時もそれに続く経営者への道も、基本は孤独だ。その孤独をしたたかに楽しむくらいの度量を身につけたい。起業にかかわる集まりは官民問わず数多く、なかにはカルト的精神論や観念論で盛り上がる会合もある。しかし、事業の対象は「夢見る自分」ではない。盛り上げる対象は現実のお客さまの方なのだ。
 こうした会合の多くは限りある経営資源の浪費となる。地に足がつかない「観念論のはしご酒」で千鳥足ならまだしも、悪酔いしてはならない。
 S社長が体現しているように、顧客活動と自律モードに徹すれば、必ずや起業家としての道は開ける。
 それには、即刻「シラフ」状態に立ち返り、お客さまと真摯(しんし)に向き合い、教えを請うことだ。その先にこそ、事業経営者としての光明が差してくるのだ。

出典:岩手日報「いわての風」(2014年3月2日)寄稿記事へのリンク

「経営の腑」第429号<通算744号>(2025年8月15日)

裸の王様にならないために 〜事実情報把握が大切〜
  出典:岩手日報「いわての風」寄稿記事(第28回目 2014年6月29日)

 前回(3月2日)掲載の「起業者が陥るわな〜自分見失わせる『酔い』〜」で、事業者は「顧客活動」と「自律モード堅持」の2点を重視すべきと述べた。
 今回はもう少し踏み込み、すべてのよりどころは「本質」や「事実」にあり、排除すべきは「思惑」や「感情」だということを確認したい。
 さて話は変わり、「裸の王様」である。布織り職人を装った詐欺師が「ばかや、自分にふさわしくない仕事をしている者には見えない不思議な布地を織ることができる」と王様をだます。
 「ばか」と言われたくなくて目に見えない衣装を褒めてしまった王様は後に引けず、裸でパレードに臨み、家来や見物人も在りもしない衣装が見えるふりをする。
 私は、事業経営者のサポートを手がけてから、こんな王様に似た経営者にあまたお会いした。
 童話の世界なら笑い飛ばせるが、事業経営の場でこうした事実誤認は事業の破綻につながる。愚かな経営者は自業自得かもしれないが、そこで真面目に仕事する従業員は救われない。
 真っ当な経営には「事実」情報が根拠でなければならないのに、企業経営の場でも多くの「思惑」情報がはびこっているから要注意だ。
 また、情報には純度があり、純度の低い情報には、恣意(しい)的な「思惑・感情・裁量」が入る。ここで忘れてならないのは、正しい経営判断は高純度の事実情報に基づくということだ。
 そして、事業経営の本質は「お客様の要求を満たすこと」にあるから、事業の対象である「お客様」に関する事実情報にこそ関心を向けなければならない。(わが社の都合や社長の思惑など何の意味もない)
 すなわち、当社に対する「お客様」の率直な評価に向き合うことが最も重要だ。その際、定性面と定量面の両面からとらえると分かりやすい。
 定性面とは「お客様が当社の商品やサービスをどう感じているか」だ。具体的には、重要顧客に対する社長の定期訪問で把握することになる。
 社長が社長室で踏ん反り返っていては、お客様の生の(正しい)情報が入ってこない。だから、こうした「穴熊社長」の会社は成績が悪い。営業マンなどから情報入手すれば事足りるというのは、現実を知らないやからの空理空論だ。伝言ゲームの例を引くまでもなく、2次情報3次情報は事実とズレが出る。
 次に定量面とは「お客様が買ってくれた結果を事実数値でおさえる」ことだ。
 本欄でも繰り返し述べているが、企業会計原則には収益性を見誤るわながある。つまり、ルール上の共通費配賦方式が、事実数値を「仮説」情報に劣化させてしまう。それを補い真の収益性を探ろうと、経営サイドから編み出されたのが管理会計方式だ。
 しかし、依然として財務会計基準の全部原価方式などに固執し、収益性把握に混乱をきたしている企業が大多数だ。だから、定量的事実を把握するには管理会計への組み替えが最初だ。
 この一歩を踏み出して初めて、顧客の紛れもない事実評価そのものを表す「売上高の金額と傾向」、さらに「人時生産性」の2つの定量的モノサシから真の姿が見えてくる。
 こうして定性面と定量面で「お客様の事実情報」を把握した経営者は、例外なく「やるべきことが明確になり、今までやっていた余計なことが吹っ切れた」と語り、黒字経営へとかじを切る。
 このように、企業経営の優劣は「事実」情報を尊重し、裁量や思惑が入ったノイズを排除できるかどうかで決まる。重要な経営判断にわけのわからない恣意的要素が入ったらうまくいくはずがないことを、今一度キモに銘じてほしい。蛇足だが、これは政治や行政など万事に共通する原理原則でもある。

出典:岩手日報「いわての風」(2014年6月29日)寄稿記事へのリンク

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