Sekiyan's Notebook グローカルニュース〜経営の腑

セキやん通信「経営の腑」


第96号“社長の意図を正しく実行に移す”<通算 第411号>(2014年2月14日)

第97号“三権分立”<通算 第412号>(2014年2月28日)

第98号“売れ筋情報を提供する”<通算 第413号>(2014年3月14日)

第99号“顧客あっての企業”<通算 第414号>(2014年3月28日)

第100号“顧客の好みの変化への対応”<通算 第415号>(2014年4月11日)

「経営の腑」第96号<通算411号>(2014年2月14日)

 社長の意図を正しく実行に移す  一倉定著「内部体勢の確立」(社長学シリーズ第6巻)より
 組織というものは、縦に階層があり、横には専門的な機能と役割を持った部門に分化されている。
 階層の違いによって仕事の次元が大きく違う。トップは“事業の経営”が仕事であり、管理職の役割は“日常業務の管理”である。そして、一般社員の仕事は“決められた仕事の実施”である。それらの間には、考え方と行動に大きな断層がある。
 横に分化された部門間には、それぞれ特有の考え方のパターンがあり、立場の違い――たとえば製造部門と営業部門の間――には反発が起こることは珍しくない。
 上下も左右もそのような有様だから、放っておくと人々の考えがバラバラになって、それぞれ勝手な方向に走り易い。
 組織というものは、本来こうしたものなのだ。それを一つにまとめてゆかなければならないのである。ここに、社長の強力なリーダーシップが必要になってくる。
 このリーダーシップこそ、社長の経営理念を実現するための方針なのである。社長は、自ら信ずるところに従い、自らの考えを打ち出さなくてはならない。そして、これを経営計画書に明文化しなければならない。
 経営計画書こそ必要不可欠なリーダーシップの絶対条件である。リーダーシップの第一要件は、リーダーが「自らの意図を明らかにする」ことだからである。これをやらずに何のリーダーシップか、と云わなければならない。組織の成員が社長の意図が分からずに動けたものではないのである。
 これは、私自身の会社勤めの中で、イヤというほど思い知らされたことである。私が若い時に勤めていたF社が、親会社から縁を切られて存亡の危機に立った時に、社長は「どうするか」について、ついに私達社員に何も示さなかったのである。あの時ほど困ったことはない。全く動きようがないからである。そしてF社はつぶれたのである。
 社長が自らの意図を示さないために社員が困るのは、何も危急存亡の時だけではない。むしろ平常時のほうが、ある意味ではなお始末に悪い。長期間にわたるからである。
 社長の正しい方針こそ事業経営の根幹であり、組織を正しく管理し、正しく運営するためには無くてはならないものなのである。
 組織の命題は、「社長の方針をいかに実現するか」ということに尽きるのである。
 社長の方針によって会社の運命が決まるのである。会社の全責任は社長にあり、社員にはないのだ。だから、会社の中の責任のあり方として正しいのは、会社の利益責任は社長ただ一人が負う、のであって、社員に利益責任はない。社員に責任を負わせる“事業部制”などはとんでもない誤りなのである。
 社員の責任は、社長の方針を忠実に実施すること、なのだ。つまり、“実施責任”である。
 社長は“利益責任”を負い、社員は“実施責任”を負う。これが正しい責任論である。

セキやんコメント:   一倉は「社員が責任を追及されるのは、方針を忠実に実行しなかった場合であり、方針を忠実に実施しても業績が上がらないのは、方針が悪いのであって社員には責任が無い」と続ける。“売上ノルマ”を外して“訪問ノルマ”を課せられた営業部員は、全く手を抜けないことをボヤクが顔は笑っている。なぜなら、社長は “利益”に、社員は“実施”に集中して取り組んだ結果、当然好業績となるからだ。

「経営の腑」第97号<通算412号>(2014年2月28日)

 三権分立  一倉定著「内部体勢の確立」(社長学シリーズ第6巻)より
 S社の検査課は製造部に属していた。この検査課はみじめだった。いくら良心的な検査をしても、製造部長が廻ってきて不良品を検査し、「この程度はよろしい」と合格品にしてしまうからであった。
 それだけではなかった。「不良品の手直しをせよ」という命令が検査課長に下る。検査課長は「うちは検査課ではなく、手直し課です」とぼやいていた。
 これは、検査課の人間のやる気をなくさせた、というような生やさしいことでは済まなかった。お客様から「S社の商品は品質が悪い」「加工が雑だ」という批判が絶えず、お客様の信用を失い、常に他社よりも安く売らなければならなかったのである。
 この製造部長の態度は明らかに誤りであり、製造部長としての資格に欠けることはいうまでもない。
 しかし、こういう組織をつくった社長こそ責められるべきである。
 製造部長とて人間である。生産実績を云々されたり、納期に追われたりしたら、ついこういうことになるのは避けられない。しかも検査課の検査というものは、製造部門から見ると常に厳しすぎるのだから、なおさらだ。
 このような、人間の弱味があればこそ、そしてこれがお客様に不良品を提供することになることを防ぐために、会社の中にも“三権分立”が必要なのである。
 検査部門は、検査基準にもとづいて検査を行なうが、検査基準を作ることはできないのだ。
 そして、検査不合格品については、製造部門は一切の文句は云えないのである。
 購買部門は、購買命令か購買依頼がなければ注文書の発行はできない。
 注文書のないものは、受入部門で受入れはできず、受入品といえども検査係の検証印がなければ、経理部門では支払ができない。
 倉庫では、出荷指示書か出庫依頼書がなければ出庫してはならないようになっている。
 上のようになっていない場合は、実務の都合上、省略されているだけで、原則は変わりないのである。
 立法・司法・行政という三権分立は、会社組織の中に厳然として存在しているし、存在させなければならないのである。
 これがなければ組織自体が実質的に崩壊してしまうのは、他のすべての組織と全く同様である。
 これあってこそ、組織の秩序が保たれ、相互牽制による不正が防止されるのである。
 これは、組織における最も基本的なルールであって、これのために組織の運営に支障を来すとか、事業目的を阻害するようなことはない。もしあるとすれば、それはルールそのものではなくて、“手続き”と“処理”の問題である。煩雑すぎる手続きや、間違った責任権限論、そして、それにもまして“顧客サービス”を忘れた規定主義、しゃくし定規な予算主義などのなせる罪悪であって、三権分立の基本ルールそのものとは関係ないことである。
 大切なことは、「仕事をうまく流すため」という理由で、この三権分立を乱すようなことがあってはならないということである。この辺の“ハキ違い”がないようにしてもらいたいのである。

セキやんコメント:    「ツルの一声効果」というものがある。これは、地道に積み上げた真っ当なプロセスが、その上席の一言ですべてリセットされ水泡に帰すような現象を指す。上記の製造部長だけでなく、多くの創業社長等にも見られる傾向で、メンバーのやる気も喪失、前向き意識も封印されるので、要注意だ。

「経営の腑」第98号<通算413号>(2014年3月14日)

 売れ筋情報を提供する  一倉定著「新・社長の姿勢」(社長学シリーズ第9巻)より
 T社は人形のメーカーである。
 問屋からは、「新製品を出せ」という要求がきつかった。社長は「毎月3つも4つも新製品を出さねばならないのはこたえる。型代だけでも馬鹿にならない。それも、ヒットするなら張合いがあるが、なかなかそうはいかない」とボヤいていた。(中略)
 ここで大事なのは、問屋で「新製品を持ってこい」というのは、新製品ではなくて「よく売れるもの」を持ってこい、という意味である。現在の商品の売上が芳しくないから、新製品を……というにしか過ぎないのだ。
 問屋のセールスマンは、売れ筋商品をつかんでいないから、T社の売上ベストテンに力を入れようとせず、ろくに売れもしない新商品に力を入れている。
 小売店も何が売れるか分からないから、T社のベストテンが売れても、返り注文を出さないのだ。そして、問屋のセールスマンの勧める売れもしない新商品を仕入れているのだ。問屋も小売店も全くの盲目商売をしているのだ。
 売上を伸ばしたいのであれば、自社の売れ筋商品は何で、売れないものは何か、の情報を、毎月あるいは場合によったら2週間単位で問屋に知らせるのだ。
 “T社売れ筋ニュース”とでも銘打って、問屋のセールスマンの販売活動の手助けをするのだ。小売店の店頭に、T社の商品が陳列されない限り、売れるはずがないのだ。
 この場合に、「売れないもの」の情報など流す必要が無いじゃないか、と思われるかもしれないが、それは違う。セールスマンには自分の好みがあって、売れもしないものを自らの好みだという理由で売り歩くものだ。これを防止するためだ。
 小売店の店頭で売れないものは場所ふさぎだけの役割しかしない。それだけ貴重な売場が、実際には狭くなっているからである。
 大切なことは、お客様のためになるということである。お客様とは、消費者だけでなくて、問屋も小売店もお客様なのである。明けても暮れてもお客様のためだけを考える会社は、長い目で見た場合に、必ず発展するのである。
 売れ筋ニュースの発行と、T社の社長以下セールスマンの小売店巡回は、売切れ商品の補充の円滑化によって、徐々に売上げが伸びだしたのである。徐々ではあっても、いままでとは様変わりの力強さのある安定的な伸びだったのである。

セキやんコメント:   売れ筋情報把握や顧客活動の重要性など、一倉が指摘する事象の本質は「事実情報による判断が大事だ」ということに尽きるように思う。経営者が現実を直視せずに、思惑や裁量による判断でごまかしていては、優れた経営はできない。多くの企業は、愚にもつかない思惑や裁量に満ちた情報をもとに手練手管に走り、この売れ筋という重要な事実情報をも粗末にしているのが実態だ。

「経営の腑」第99号<通算414号>(2014年3月28日)

 顧客あっての企業  一倉定著「社長の条件」(社長学シリーズ第7巻)より
 石油の元売業者であるM社のセミナーで「あなたの会社の石油をお客様が買ってくれなければ、あなたの会社はつぶれるのだ」という言葉が、参加者から「青天のへきれき」という感想だったのにはこちらが驚いた。
 この、何とも当たり前のことが、当たり前でなくなっているのである。しかし、これは何もM社だけではない、ほとんど大部分の会社がそうなのだということを、私はいやという程見せつけられてきている。
 人間というのは、自分中心に物を考える動物である。企業の経営においてもしかり、我社中心に物を考えてしまう。これを私は「天動説」と名付けている。「世の中は我社を中心にして廻っている」という思想である。
 これは生きものとしては至極当然のことではあるが、こと企業の経営となると、これが数々の誤った行動となって表れる。
 その例は「販売戦略・市場戦略」篇に数多くあげているから思い出していただくとして、共通なのはどの社長も、自らの「天動説」に気付かずに経営していることである。
 これが企業本来の任務である顧客サービスを忘れさせ、そのために顧客から信頼されず業績を大きく損なうのである。
(中略)
 不況の中で、過当競争に勝って生き残るためには、正しい事業経営を行なう以外にない。優れた経営戦略と販売戦略が絶対的に必要であることは論を待たない。しかし、不思議なことには、それらが優れていながら、業績がいま一歩不足している会社は数多い。
 反対に、経営戦略や販売戦略はそれ程でなくとも、顧客第一主義をとっている会社はかなり優れた業績を上げているのである。この事実から、ある意味では戦略よりも顧客第一主義の方が強力である、とさえ云えるのである。「天動説」を捨てることの大切さをヒシヒシと感じさせるのである。
 優れた戦略を持ち、かつ顧客第一主義に徹している会社こそ恐ろしい。こうした会社には、不況も過当競争もないのである。不況どこ吹く風、過当競争の圏外に立って、まさに「無人の野を行く感じ」(静岡市のI社長)。「優等生すぎて困る」(京都のN社長)ということにさえなるのである。
 くどいようだが「事業は顧客のためにある」ことを忘れてはならない。つまり「顧客の要求を満たすことこそ企業の任務」なのである。
 だからこそ、社長は顧客の要求を見つけ出し、これを満たすことをまず第一に考えるべきである。
 顧客の要求を知るために、社長は自ら顧客のところに出掛けて行き、自らの目で自らの耳で、自らの肌で顧客の要求を見、聞き、感じとらなければならないのである。
(中略)
 「天動説を捨てて顧客の立場に立て。その瞬間から不況も過当競争も他国のものとなる」という一言で、この章を結ぶこととする。

セキやんコメント:  一倉の35年ほど前の著書からの抜粋だが、まさに現在にもそのまま当てはまるのにはいつも感心させられる。失われた○十年という時空を超え、事業経営には本質があり定石があるということを、改めて確認して貰えればと思う。そして、「開眼」する穴熊社長が一人でも増えることを願う。

「経営の腑」第100号<通算415号>(2014年4月11日)

 顧客の好みの変化への対応  一倉定著「販売戦略・市場戦略」(社長学シリーズ第3巻:1977年刊)より
 顧客の好みというものは、世の中が変わるに従って変わってゆく。特に石油ショックを境にして大きな変わり方を見せている。「消費は美徳なり」という使い捨ての時代から、「節約は美徳へ」と大きく変わった。そのために、修理業、修繕屋が大忙しということになり、補修部品がよく売れる。すべて実質時代に入ったのだ。
 当然、いままで売れていたものが売れなくなり、売れなかったものが売れるようになる。
 売れなくなったものを作っていたメーカーや、それを取り扱っていた流通業者は痛手を受ける。
 売れなくなってからでは間に合わない。一日も早くこの兆候をとらえて手を打たなければならない。それにはどうしたらいいのだろうか。
 商品というものは、水物や際物を除いたら、急に売れなくなるということは、まずない。売れ行きの伸びがだんだん落ちてゆき、頭打ちし、徐々に下がってゆく、という過程を辿るものだ。
 この過程は、売上高年計グラフで見ていけば分かる。
 しかし、グラフだけ見ていればいいというものではない。グラフには、顧客の好みの変化だけでなく、他社の“割り込み”による影響もある。このようにいろいろな要因が合成されているものだからである。
 だから、年計グラフだけに頼っていては分からない。どうしても外部情報を的確につかみ、その情報を踏まえて年計グラフを読んでこそ、正しい状況判断ができるのである。
 外部情報を的確につかむためには、セールスマンの情報だけでは、甚だ偏ったものになる。セールスマンの情報には、常にセールスマン自身の利害がからんで、本人の不利になるような情報は握りつぶしてしまうからである。
 それだけではない。セールスマンというものは、販売することが役割であり、その関心は情報にはない。ただ一つ敏感なのは、自分の売上に直接影響のある情報なのだ。ある社長は「うちのセールスマンは、うちの競合商品でうちより安いものの情報しか手に入れない」と笑っていたが、こんなものである。
 大切な情報はセールスマンからは得られない、と思うべきである。それよりも、我社の将来を左右する重大な情報活動をセールスマンに任せておくこと自体、社長にとって怠慢この上ないことである。
 社長自ら外部に出かけて行き、自ら情報を集めるべきである。
 同じことを見ても聞いても、社長とセールスマンでは、とらえ方の次元が全く違うものである。また、社長が行けば、相手の会社でも偉い人が必ず応待してくれる。当然、次元の高い情報が手に入ることになる。

セキやんコメント:  さすがに石油ショックは昔話となったが、近年の「もったいない」思想の流れと合致するのは、皮肉か。一倉社長学の本質は「事実情報による経営判断」の励行に尽きるのではないかと思い至った。定量的事実を「売上高年計」と「賃率」で把握しながら、社長自らの顧客訪問時の反応という定性的事実で確証を得る、ということだ。こうして事実情報による判断に徹すれば、勘違いは排除され結果がついてくる。

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