つぶやき日記バックナンバー


 H25.9.19 更新  NO531          ブラジルのサプリ

 今週の15日、ブラジルから16年ぶりに帰郷した従兄弟のお姉さんがやって来た。お姉さん・・と言っても、白髪の70歳を過ぎた元気の良いお従兄弟さんだ。彼女は五十数年まえ、ブラジルのサンパウロ近郊に移住していた江釣子出身の高橋さんの嫁としてブラジルに渡った。

 サンパウロからは数百キロある地の原生林を開墾して、バナナ栽培を主な仕事として現地人を雇って生産に励んでいたそうだ。そのバナナで大儲けをして、16年前も突然帰郷したのだった。そのころ二番目の娘さんは岩大に留学していて、日本で就職も決まっていた。現在は、日本人と結婚して千葉方面で暮らしていると言う。築き上げた財力には感服するものがある。たいしたもんだっちゃねぇぇぇぇ・・。

 そのバナナの林は、ウン百年に一度?の大洪水に見舞われ全滅。意気消沈して途方に暮れていた時に出会ったのが、サプリメントとして効能がある「がじゅつ」と「カムカム」と言う植物。それらを約35町に渡り栽培しているそうだ。・・再びぃぃ、一旗揚げる快挙!!。・・そして・・今回の来日となったぁぁぁ・・。久々の同級会が二つもあると言い、サプリも効いて楽しく・忙しく動き回っている様子。

 ほんでねぇぇ・・自家製の粉末にしたサプリは、お土産として我が家にも届けられたの。「カムカム」は直径2〜3cm位の赤いスモモみたいな果実でビタミンC含有量がもの凄く多く、クエン酸、ビタミンB群なども多く含まれ、美肌効果、老化予防、疲労回復、コルステロール値を下げる等の効果などがあるという。

 また、「がじゅつ」はショウガの仲間で、日本では屋久島や種子島等で栽培されているとのこと。サンパウロには1958年に屋久島から移入されたとのことで、その苗から多くの苗が広がった様子だ。効用は、胃腸病、肝臓病、腎臓病、婦人病、内臓一切の強化と殺菌、防腐、痛風等の諸作用に卓効があると共に、消化促進、老化防止、体質改善等にも大きな効果が実証されているという。・・なるほど・・これは高く売れる・・たぶん・・?。いい物に巡り会えたものだ!!。季候が合えば、我も栽培してみたいものだぁぁ。

 血糖値やコルステロール値、体質改善の為、我にはもってこいのサプリメント。煎じ方の指導を頂き、早速、かみさんと飲んでみたぁぁ・・。ん!?「すっぺぇぇぇ!・・渋べぇぇ・・ぬげぇぇ・・奇妙なあず・・」、砂糖をタップリと入れないと飲まれねぇぇちゃぁぁぁぁ。かえって、血糖値があがりそうだべぇぇぇ。・・・なじょすたら・美味く゛のめんべなぁぁぁ・・??。血糖・・でなく葛藤が続く今日この頃です。


 H25.8.9 更新  NO530            足利のお爺さん

 先日、某国営放送の百名山シリーズで「男体山」が放映された。二荒山神社口コースで、懐かしい映像に感激。誰かに解説する訳でもないが、ブツブツと一人事を言いながら一コマ・一こまをジックリと楽しんだ。


2005.8.21 談笑する田名網氏
 そう言えば、いつも登っていた足利市在住の有名なお爺さんは映っているかなぁぁぁ・・等と見ていたが、一般者は殆ど映っていなくて少しガッカリ。時折、暇を見つけてネットで某全国紙の栃木版をチェックしていたが、しばらくその方の記事は見当たらなかった。男体山の登頂回数で群を抜く記録の持ち主で、私も男体山で数回お会いしたことが有って、ずぅぅぅぅぅと気になっていた素晴らしいお爺さんだ。

 今週の初め、じぇ・じぇ・じぇ!!。偶然「田名網氏・1222回目の男体山登頂」の旨の記事を発見する。おぉぉぉ・・元気だったかぁ・・!!と感激する。しかし、某記事によると2011年10月に1221回目の登頂を果たした後に脳梗塞で倒れたとのこと。左半身マヒと胃の具合が悪く、退院後は長い間、辛いリハビリに明け暮れていた様子。

 しかしながら、本人の強い意志・並々ならぬ努力の末、約1年10ヶ月ぶりに山歩きに復帰したそうです。数回の挑戦の後の8月4日、ついに1222回目の男体山登頂を果たしたとのこと。元気な頃の倍以上の時間が掛かったとの事だが、凄い・えらい・大したものだ!!。現在88歳、病を克服しての大偉業をおおいに讃えよう!!。

 まだまだ体調は優れない様子だが、当初からの目標は「男体山・開山1230年にちなんで1230回登頂」だったとのことだが、改めて次は2222回を目指したいと言っているそうです。・・・そうそう、エベレスト登頂の三浦さんや、富士山の超高齢登山者96歳の方など、高齢者でもまだまだ目標を叶えられると思う。ガンバッペェェェェェ・・「田名網」さん!!。

 我は最近、益々足腰が弱ってきたようだ。おまけに糖が無駄に流れ出る・・須川あたりで黙々と糖レーニングでもすねぇばなぁぁ・・・。まだまだ山さ、いぎでぇぇちゃぁぁぁ・・・。GA値、HB-A1c値の悪いヤツが登ると、これが本当の須川岳「糖頂!!」・・てなことになるかもね。


 H25.6.11 更新  NO529            一大事


昨年の開花状況
 今年の桜の開花は関東圏では少し早かったのですが、その後に低温が続き約5日程遅くなりましたね。我が家の桜もその通り遅かったのですが、アカヤシオの花は例年並の4月18日に咲き出しました。いつもより花芽が増えてたので順調に咲くだろうと思ってアカヤシオの写真は撮りませんでした。

 しかし、低温の影響か・・時が経っても満開とはならず、半開きでしおれ加減の花芽もありました。・・・なんだがぁ・・おがすぅぅぅ・・・?。何とか7部咲きぐらいで全ての花がこぼれ落ちると、つぎは葉が元気に大きくなるはず・・と、待ち続けるが若葉の勢いがない。田植えも終わり比較的暖かくなって来ているものの、折角でてきた若葉の一部がしおれ加減の物も見える。・・・やっぱ、何かがおがしい!!。


挿し木にしてみました
 ヤシオの付近で、モグラが遊んだ気配もある。柔くなった土を踏み込んだり、乾き加減の土に水やりもした。一週間経っても何の変化もなく、更に全体の元気がなくなったように見える。・・なんだ・・なんだぁぁ・・なぬすたんだべぇなぁぁ・・と、しきりに悩む。

 先週の朝、しびれを切らして根本から枝分かれした一方を掴みクイッと捻ってみた。すると、いとも簡単にボキッと折れてしまった。・・ん
んん・・折れた断面を見ると、真ん中に小さな穴が通っているではないか。一大事!!。・・えぇぇぇ・・まだ若い木、「す(巣)」が入るわけがない・・ストローみたいな穴、これでは枯れて当然だ。と、ガッカリ!!。

 とりあえず枝先を切ってみると、まだ生きている所もある。つつじ科なので挿し木にしてみよう・・と、たっぷり水をやった鉢にジャキッと射してみた。・・・根っこ、ででくっぺがぁねぇぇ・・。


こいつにやられた!
 そんな矢先、柳生博さんの「八ヶ岳倶楽部」敷地内の白樺の木に虫が入った話題が放送されて、我も再び悔しい思いをしました。・・もしかして・・、残ったもう一方の枝も思い切って折ってみた。・・うわぁぁっっ!・・いたぁ!。何かの幼虫が幹の直径2cm弱の中いっぱいに太った虫が入っているではないか。これでは枯れてしまうのは、時間の問題だ。慌てて、更に挿し木を増やしてみた。

 アカヤシオを調達した鹿沼の「花木センター」には、八潮つつじはあってもアカヤシオの苗はもう無かった。悔しい、残念、いだますぅねぇぇ!!。何とか挿し木に根がでて欲しいものだ。・・・この虫は、カミキリムシの幼虫なのでしょうかね。だとすれば、栗の木やイチジク、桑の木等には良くつくらしいが、ツツジにつくとは・・変ですねぇぇ・・。


 H25.4.2 更新  NO528            お花見

 花粉にPM2.5や黄砂の飛び交う季節。やっと春らしくなりましたねぇぇぇ・・。昨年タイミングを逃してしまった栃木行、桜の開花情報とにらめっこしながら、やっと実現出来ました。・・少し前まで開花は通年通りとの予報だったが、一週間ほど前に開花宣言の所があって急遽、予定を変更・・・いづいぐの・・?。「今でしょう・・!!」・・と言う事で、3月29日予定を繰り上げて出発する。

 久し振りの長距離行、高速にのると流れる光景に目が慣れずに目玉が左右ちぐはぐに游ぐ。この先、少々の不安を抱えながらも心はうきうき・・。それでも15分ほど経つと平常心が表れて、心は栃木のど真ん中。特に混雑する事無くスイスイと進み矢板に近くなると、ちらほらと開花の始まった桜が見え出す。今回の目的の一つは、お花みみみみ・・。着いたら、あそこに・あそこ・・と、気持ちが逸る。


大平山・太山寺のしだれ桜
 出発から約3時間40分、つがの里の桜が咲きだしているのが見えてきた。ジャンクションから北関東道に乗換えて次の都賀ICで一般道に降りる。約3年ぶりの故郷(古里)に「変んねぇぇなぁぁぁ・・」と思いながら少し感激。家並み、店の看板などなど見覚えがある。何だか、まだこの地に居るような感じだ。

 まずは、もう一つの目的であるマイ・バンク?へ立ち寄り十数年お世話になった通帳の解約手続き。「わざわざ来たんですか・・」の声に「観光ついでですから・・」と言い訳。時計を見ると、もう昼時。いつもの食堂でランチタイムを取る。

 またまた、いつもの道を行けば、いつも一番早く咲き出す桜はちり加減だが、我が工場の桜の小木は満開で一安心。いつものように春霞であまり見通しは良くない。富士山もスカイツリーも見えないだろうが、いよいよ核心部の桜の名所「大平山」へ進む。


つがの里にて
 桜祭りが始まると、一方通行となる錦着山からお花見コースへと入る。おぉぉぉぉ・・咲き出している。29日現在で7部咲きぐらいだ。背丈の高いどでかい桜の木ではないが、道の両側から迫り出す桜並木のトンネルが1.5Kmほど続き、なかなかの圧巻である。運悪く、かみさんは携帯が鳴り写真を撮る暇もない様子。

 駐車場は、平日でもごった返しているが、大平山神社に車を止めてお礼参り。ああだ・こおだ・・と観光案内しながら、懐かしいハイキング・コースまで懇切丁寧にかみさんにぶちまける。たぶん・・わがんねぇぇぇがったべなぁぁぁ・・。続き展望の良い兼信平へ進むが、標高が高いのと風当たりが強い為だろう、桜は咲き出したばかり。駐車スペースが無いので太山寺へ下る。

 運良く駐車スペースを確保、ビデオを片手に境内の枝垂桜の古木を目指す。ネットによると開花は一週間ほど前の様子だったが、まだまだ花が所狭しとついていた。たしか、少し手前にも大きな枝垂桜があったはずだが、何処かに移したのだろうか見当たらない。少し残念だったが、かみさんは大満足の様子だ。30分ほど鑑賞して、次のつがの里公園に向かう。


長福寺のしだれ桜
 8年間この地に居たとは言え、迷う事無くスイスイと道が浮かんでくる。つがの里の枝垂桜はまだ4部咲き。しかし、花壇のお花はやや見頃。かみさんを、広々とした公園の一角にあるカタクリの群生場所に案内すると満足した様子。そめいよしのが満開となるには、あと一週間は掛かりそう。

 続き、赤津地区にある長福寺に進む。ここにも、樹齢約200年と約70年の枝垂桜の大木がある。今年は手前の畑に菜の花が植えてあり、ピンクと黄色のコントラストが良く、なかなかの景観を作っていた。桜は少々散り加減ではあるが、見ごたえは十分だ。かみさんは、回りに植えてある水仙の群落に気がまわっている様子。たまたま居たおばあさんに声を掛けて、なにやら話し込んでいる。・・どうやら、変わった水仙を見つけて株分けして欲しかったようだ。・・近所のおばあさんで、願いは叶わなかった様子。

 時計を見ると3時半を過ぎているが、気になる大柿の方に回ってみる事にする。すぐ近くの龍興寺の桜も良いが、カタクリの群落地も見せておきたいと思い、咲き終わっているのを覚悟で車を進める。さすがに駐車場は閑散としている。「・・まあ・・いってみっぺ」とカメラを片手に散策路をすすむ。おっ、まだ咲いている。日影の北斜面なので、まだ見頃が続いている。イチリン草やキクザキイチゲも見頃だが、みごとなカタクリの群落が広がり、かみさんも大感激の様子だ。しばらく散策してセツブンソウもあったはずと探すが、さすがに花は終わって種が出来かかっていた。遅かったと少々ガッカリ。


大柿地区・カタクリの群落
 今年初めてのお花見に、大満足して古賀志山の麓にあるホテルに着き、本日の余韻を更に楽しむ。翌日は、もう一箇所の気になる桜の古木を訪ねる。それは、古峰山神社への道を進んだ大久保地区の民家の庭先にある。山間部で少し肌寒く、弱い霧雨が降っている。いつもは市街地より10日ほど遅く咲き出す所。半分諦めて、現地に到着。案の定、下のほうが咲き出したばかり。大きな古木の見事な枝垂桜を想像しながら鹿沼に戻る。その沿道の民家の庭先には、ピンクのアカヤシオが満開で、それとあわせて小学校の満開に近い桜を見て大満足。

 この日は、森さんリクエストの丸い夕顔の種を探しに産直の店を訪ねる。店のおばあさんに聞くと「置いておりません・・」とのこと。少しガッカリ・・しかし「震災の被害はどうでした・・このキノコは汚染はありません・・」などと岩手にも気にかけていただき感謝。少々の野菜類を調達して店を後にする。やっぱ、鹿沼の花木センターか?と、最後の楽しみのセンターへ急ぐ。

 久々の鹿沼・花木センター、期待が高まる。開園して30分ほどらしいが、入口側の駐車場は既に満杯状態だ。下部の駐車場に車を止めて、早速園内に進む。周辺の桜並木は満開のようだが、もう桜よりは園内の散策が楽しみだ。

 相変わらず老若男女でごった返しているが、それ以上の山野草に各種の盆栽や大きな庭木類・・何でも有りだ。かみさんは感激しながら、早速小鉢を取り上げる。「重くなるから、目を付けた物は後で取りに行ったら・・」と言っても鉢を放さない。仕方無しに籠を持ってきてつき合う。各、長があぁぁぁぁぃ棚をS字に時間を掛けてゆっくり回る。あっ!これっ!と、同じ種類でも心変わりもするようだ。高山植物の類も多く、我も欲しいのを我慢しながらも楽しい時間が過ぎていく。

 種子類も多種多様に並んでいるが、ついに夕顔の種だけは店員さんに尋ねても見つからなかった。少し落胆。しかし、広い園内には大きな温室も多数あり、一回りに2時間以上かけておおいに楽しむ。かみさん、次来るときは友達と来たいと大満足の様子だった。やっぱ、トラックで来た方が良いかも・・。昼過ぎ、後ろ髪を引かれるように帰路に就く。

 感激の栃木路、良いお花見をしたぁぁぁなぁぁ・・。次は、一関界隈で2回目のお花見かぁぁ・・。もう・・花より団子にお酒が良いかもねぇぇぇ。


H24.11.4更新  NO527            WiMAX

 10月、我のネット・アクセスに使用している加入者系無線アクセスの契約更新月を迎えた。2年前と比較すると接続スピードは格段と早くなり、7.2Mbpsから40Mbpsサービスが支流となり、接続月料金も4000円を切っている。今売り出したLTE超高速アクセスは、たまらないらしいが、今のところエリアはかなり狭い。・・やっぱり、LTEは我慢して40Mに切り変えた方がえぇぇべぇぇ・・と、サービス・エリアの確認をする。

 ネットによると一関は、EMもUQもWiMAX・40Mエリアが万全のようだ。あとは無料端末機の状況だけ。・・いろいろと端末を選べられるが、殆どは無線LAN対応で我がデスクトップPCには無線LANは内蔵していない為、有線LANも使えるUQ社の端末を選んだ。勿論、無線LANも内蔵しているため、我がノートPCにも同時接続が出来る・・ウッシシ!。・・・サービスエリアのシュミレーションデーターが、正しければ良いのだが・・と、一抹の不安を抱えて申し込みをする・・。

 さすがに早いもので、約3日後には端末が届いてしまった。今までのEM端末は1.7GHz帯のもの、WiMAXは2.5GHz帯で障害物に非常に弱い。マニアルを片手に早速電源を入れてみる。・・・・うぅぅぅぅ・・電波が掴まらない。やっぱり無理だったかぁぁぁ・・と、首を傾げる。・・たしか、我が会社の屋上や十二神地区にANTがあったはず・・、諦めきれずにアクセス・ポイントに足を運ぶ。

 後日検証してみると、約2Km圏内だと確実に繋がる。・・・もう・・繋がったことで契約は成立しているだろう・・。しかし、自宅からは繋がらない。EMの無料解約は10月一杯・・なじょすっぺえぇぇぇ・・と、焦りの日々が続く・・。とにかく、もう少しアクセスポイントがあるはずと、空中波を探すことにする。

 更に後日、端末を持って家の前から南の方に徒歩で移動する。すると、約300m移動した地点で入感。・・れぇぇ・・厳美方面からかぁぁ・・と、気をよくする。ここだったらノートPCでネットが繋がる・・我が家のエグネを切れば繋がるかも・・と、落胆の気分と入り交じる。念のため基地局を確認に、いってみっぺぇと車を向ける。

 端末の電源を入れたまま、厳美地区に差し掛かると針が三本立ち間違いないと確信。あそこのANT基地がそうだべぇぇ・・あそこは市営牧野の一角・・。ついに確認、基地局にUQの文字。嬉しいには嬉しいが、後で調べたら直線で約5Kmもある。下りの送信出力は何十Wあっても良いが、端末の上り出力は約200mWしかない。遠すぎるし、見通しが効かない・・・ヤッパ、無理だべなぁぁ・・と、ガッカリ!!。

 そんなこんなで、解約手続きの期限切れ。いいや・・EMの解約は多少の解約料金が発生するが、何時でも解約できる。UQのアクセスポイントは、1月までに少し増えるらしい。それまで様子を見よう・・と、諦める。・・・と言うわけで、光より高い料金を払かけている今日この頃でした。

 ・・端末機を竿で高く吊り上げてみようかなぁぁぁ・・。それともパラボラ反射器・・?。・・おもしぇぐねぇぇなぁぁぁ・・。

 参考:UQは赤荻西部地区(山口、槻本、上袋など)、萩荘打の目付近、当地大袋等が繋がらない。KDDI系列なのでAuの携帯電話用基地局があれば近い将来繋がるかも知れない。詳しくは、UQのエリアマップを見て下さい。


 H24.9.28更新  NO526            河 骨 (コウホネ)


下小代の下野コウホネ
 夏が終わりそうでも・・思い出すうぅぅぅ♪・・遙かな尾瀬・・の水芭蕉に・・尾瀬コウホネ・・。そのコウホネは、水中から突きだした細長い茎の先端に、黄色・・いや、オレンジ色に近い鮮やかな色をした小さな花を付ける。何で河骨と呼ばれるか調べると、水中の地下茎に特徴があるとのこと。株全体を掘り出すと、地下に潜った茎そのものが背骨にあたり、各所から葉や花の茎がいっぱい出ていて、丁度魚の骨みたいに見えたからとのこと。チョット風変わりて゛絶滅危惧種もある・・。氷河期の生き残り・今流行の絶滅危惧種、河骨って良いですねぇぇ。


月山・弥陀ヶ原の尾瀬コウホネ
 7月上旬になると、日光市・下小代の下野コウホネが咲き出し、下旬には尾瀬ヶ原や月山の尾瀬コウホネが咲く。と言うのが定番と思っていた。ところが栃木の某新聞によると、9月上旬に佐野市でナガレコウホネと言う種のコウホネが満開となったそうだ。写真を見れば、懐かしい姿のコウホネ。大きさは良く解らないが、正しく綺麗に咲いたコウホネだ。葉は下野コウホネとは異なる形をしている。明らかに異なる種類とは言え、今の季節にも咲くんだぁぁぁ・・と、感心する。

 そう言えば、羽黒山・山神合祭殿前の御手洗池に、花の大きいコウホネが咲いていた。そのコウホネの見頃は、春から秋にかけてと、長期間に渡るとのこと。種類を限定しなければ、あっちでも、こっちでも、コウホネが見られて当然なのかも知れない。嬉しい反面、季節が分かり辛く少しガッカリ。

 絶滅危惧1A類の下野コウホネ。日光・下小代では、今年初め40株ほど(下流から)群生地に移植したそうだ。7月には、たくさん咲くだろうと期待していたが、今期は例年の半分程しか咲かなかったとのこと。水質や天候異変などが影響しているのか、地元の保存会の皆さんの心配いは絶えないようだ。


黄色い包は、花びらでなくガク
 そんな・こんなで27日、栃木の某新聞HPを見てびっくり。栃木県・さくら市で、下野コウホネが咲いたと載っていた。最近になって3つ程花芽を付けていたらしいが、その内の一つが咲いたとのこと。・・・全く咲き出す時期が、分からなくなった。新潟のコウホネに詳しい大学教授の方が認めた下野コウホネは、那須烏山や真岡にも群生しているという。以外に広く分布している様子、そんな各地の便りを注視していきたい。・・コウホネは良いやぁねえぇぇぇ・・。

 今年の春は栃木方面に行きそびれ、コウホネの時期に改めてと思っていたが暑さで参っていた。まだ間に合うかも知れない・・行って、みっぺがねぇぇぇ・・。・・来年まで我慢すっぺがねぇぇぇぇ・・・。


 H24.5.30更新  NO525              かあすけ

 4月中旬、今年も田圃仕事が始まった。久々にトラクターを出して田お越しをしていると、冬眠から覚めたのか蛙がぐだぁぁぁと転がっていた。それを欲しかったのか、一羽のカラスがトラクターの近くでピョンピョン飛び跳ねていた。「・・・うっせぇなぁぁ・・あっちだぁぁ・・」と指さしてカラスに話す。トラクターがそこを過ぎると、早速カラスが突っついて持ち去った。その後も、何度もなんども飛んできて蛙あさりをやっていた。

 田植えも無事に終わり田圃の水まわりをしていると、例のカラスが近くにやって来て「かあ・・かあ・・」と鳴く。「・・蛙は・・そっちだぁぁ・・」と指さすが、この日は遊びたいのか10m位の距離でそわそわしている。「・・・いだずらなんか、すんなよょょょ・・」等と話しかけながら、その場を立ち去る。・・・なんだが、ひとなっこいカラスだっちゃなぁぁ・・と思い、気をよくして仕事に向かう。

 その後も、2〜3日続けていつもの水口に立つと現れる。めんこいので「かあすけ」と名付けて「こんにちわ」等と話しかけると、首を左右に傾げながら「かぁ・かあ」と反応する。翌日は更に近づき、約5m。こんにちわ・・では難しい、「おはよ」と変えると更に不思議そうなそぶりをする。・・・なんだ・・こいつ、言葉を真似するかもと思いつつ・・会社に出かける時間になり、仕方なく立ち去る。

 なんだか・・良い気分で数日過ぎるが、前の杉林で何かの幼鳥の声・・。んんんん・・・、あれはカラスの子供かぁぁ・・どうやら、巣立ちを迎えた様子。時の話題になっているトキ(こうのとり目・トキ科)ではなく・・カラス・・がぁ・・。とガッカリ!!。

 カラスが我の所に飛んでくるようになった前の日、セシウムで汚染させられたと思われる竹の子を倒しに、クワを担いで竹藪から杉林をかっ歩した。どうやら・・その時にカラスの巣に近づき、ガラスの勘に触ったのではないか。早い話が、カラスは我を見つけると威嚇の為に飛んできたのだ。・・んんん・・確かに、なぎ声も激しいときもあり、木にとまってクチバシを小枝にしきりに擦り付ける(クチバシでコンコンと音を立てる)時もあった。後で調べたら、威嚇の行動と思われる仕草だった。さらに、二回ほど後ろから低空飛行で頭上を飛んでいったこともあった。・・・あ゛ぁぁぁ・・何という勘違い・・。もう少し教えれば「おはよ・・」と鳴き真似しそうだったのだがぁぁぁ・・威嚇されているとは何とガッカリ!!。

 いつものハシブトガラスのつがいは、相変わらず付近を飛び回っているが、さすがに我の所には飛んでこなくなった。・・こいづらぁぁ、いたずらすんなよぉぉ・・等と監視していると、今朝、田圃の稲を踏み荒らしていた。このぉぉ・・と見ていると、何だか大物を見つけた様子。バタバタと飛び跳ねながら、盛んに何かを攻撃している。5分ほどすると、ながぁぁぁぃ物を加えて飛び跳ねた。・・ヘビだ!。ヘビを捕まえて満足顔・・だか、なんだか分からないが、たまには「かあすけ」も良い事をしているんだと苦笑い。・・まあぁ・・また何時か遊んでやろぅぅぅ・・。


 H24.5.12更新  NO524              液漏れ

 一関コミュニティFMが開局しましたね。各戸には、一関市より専用FM受信機が届きました。楽しく聞いていますか?。私の所にも、開局の数日前にFMラジオが届きました。早速、外部電源を繋ぎ試験電波を聴いてみました。3つある送信所の最も近い石蔵山からの電波は空中線電力20W。小さい送信電力で放送している割には明瞭に受信できて一安心するが、電源ランプが赤-緑と点滅して目障りこの上もない。その点滅は電池が減っているというサインらしい。減っているも何も、電池が無いから入れていない。・・なんだよょょょ、すかだねぇぇぇ、電池かってくっぺがぁぁ・・と財布を覗く。

 数日後、電池を入れて再テスト。・・だいじょうぶだぁぁ・・そしたら、ランプの点滅もなぐなったぁぁ・・外部電源はもってねぇぇがら、はずしておぐべぇぇ・・と言う事になった。ラジオの電源を切って、テストは終了。

 しかし、電源は切ってあっても3日程経って、再び赤ランプが点滅して電池切れのサイン。・・うそぉぉぉ・・もう電池が減ったのがぁぁ・・と、ガッカリ。取り説を見直すと、電池を入れて外部電源を接続・・と書いてある。やっぱり正しい使い方をしなければ、電池の消耗が激しくなるようだ。・・おもしぇぐねぇぇ・・外部電源を入れれば、待機電流が流れて節電になんねぇぇべっちゃゃ・・。・・ん!?、何だが、電源を切って置いても、緊急放送時には鳴るって話だ。と言う事は、ラジオの電源を切っていてもチューナー部は生かしてあるはず。・・念のために調べてみた。

 古いテスターなので正確には測れないと思いつつ、ラジオのボリュームを下げ電源を切って電池の尻に紙を挟み供給電流を測ってみた。案の定、約30mAが流れっぱなしだった。単3アルカリ乾電池の容量は2000〜2700mAhとの事。新しい乾電池の容量を2500mAhとして、30mAの電流を流し続けると約83時間で電池が無くなる。やはり約3日チョイで電池交換サインが出ることで納得する。但し、私の場合は1.5Vが1Vになっていてもラジオは正常に鳴っていた。電池がある程度減ってもラジオは鳴る。しかしながら、電池の消耗を抑えるには、外部電源は入れておく必要があるようだ。電池は、あくまでも停電時に放送が受信出来るようにする予備電源の替わりだったのだ。

 そんな・こんなしていると、某地域の告知放送受信機で1年も経たないのに電池の液もれが発生したとの情報があった。・・なんで?・・液もれ?。と言う事で「液もれの原因」をネットで検索してみた。すると、過放電に逆挿入とかショートが主な原因との事。また、電池を強制的に充電(電池は充電は出来ない)した場合、発熱等で液もれが発生することもあるらしいが、外部電源と電池共用の場合には、それぞれへの逆流防止回路が内蔵されて充電にはならないようだ。

 一時、液もれ対策を施した電池の宣伝もあったが、完璧なものは出来なくてその陰が薄れている。液漏れを防ぐには、保管時に他の金属とのショートを避ける。また、電池の逆挿入や異種電池の混合使用を避ける。最も大きな要因は過放電(53%もある)で、それを避けることが一番大事との事。過放電があると、内部の電解物質からガスが発生して内部圧力が上がり、破裂防止の蓋が開いて液状物質が徐々に吹き出すとの事。

 電池を使用した機器には、スイッチを切っても微弱電流が流れるものも多いと言う。ラジオや懐中電灯に各種のリモコンなど、液もれに遭遇した人は数多くいる。使わない時は、電池をなるべく機器から外しておくのが最良の方法のようだが、緊急放送の為なら外すわけにはいかない。某告知放送受信機の液もれは、この過放電が大きな原因のようだ。電源入り・切りスイッチは無く、使用電流が大きく停電も数回あって、電池消耗サインが出ても無視した事により過放電となったようだ。

 と言う事は、一関コミュニティFM専用受信機でも、過放電による電池液もれが発生する可能性が高い。夏に向かい落雷の停電や局所・定期的に行う作業停電、節電のための計画停電等もありそうだ。電池の消耗は激しくなるだろう。幸い、電池収納部が下側にあり、漏れた液は下に垂れて拭取るぐらいの被害で済みそうだが、電池消耗サインが出たなら1〜2ヶ月以内に新しいものと交換する事を薦めたい。他、各種機器でも1年ごとには交換する習慣をつけたいものだ。

 一関コミュニティFM専用受信機は、市からの借り物。一関市から転出の場合には、返さなければならない。液漏れで汚したり、故意に分解する事はもってのほか。大事に・大事に使用しなければならないのです。

 尚、電池にも「消費期限」が表示してある。その期限を大幅に超えた電池は、新しいものに交換するか、使わないようにしたい。・・しかし、「漏れ」って言葉やんだっちゃねぇぇ・・。雨もれ・・水漏れ・・申告漏れ・・等など、古くなると切れも悪くなる。・・漏らさないよう気っけっぺぇ!!。


 H24.3.24更新  NO523              げんこつ

 12月の山歩きで、ザックのチャックがいかれてしまった。しばらくネットで品定めが続き、写真と値段をにらめっこ。・・よし!これだぁぁ・・と注文する。・・がぁぁ・・来た物を見てガッカリ・・。んのぉぉ・・安物買いのなんとか・・。返品より、次のを選ぼう・・と、改めて品定めが続く・・。

 しばらくして、つぎの物が届いた。何かが届いたのを嗅ぎつけたかみさん・・「つぎから・つぎと・・いっぱい買って・・げんこつだよぅぅ・・!」と叫ぶ。・・・少しぐれぇぇ・・えぇぇべっちゃねぇぇぇ・・!?。確かに少しこずかいがたまると、ネットで色々買っていた。・・なだめんのも大変!。

 げんこつと言えば・・幼少の頃、悪さをすると爺や・・ずんちゃん・・く○じじぃぃに「おめぇぇ・・からこび(ん)がぁぁぁ!!」とよく怒られたものだ。いわいる、げんこつが欲しいのか・・と手を上げて怒られたのだぁ。・・・何だか懐かしい言葉。

 なんて、少し感動していたら・・げんこつ・・れぇ!・・減こつ?・・減小遣い?・・。なぬ!!減小遣いだよ・・らしい。それは、それは、一大事!!。かみさん、何気なく「げんこつ」と口から出たようだったが、気が付いたようだ。まずい、それはないだろう・・。カクカク・シカジカ、ただ今、大蔵省と交渉中でぇすすす・・・。

 ・・まだ・まだ、ビデオのバッテリーとかAVCHDの編集できるパソコンやナビの補充用バッテリーなど欲しいんだよねぇぇ・・。一応、ネットをチェックしておこうか・・・?。まだ・・最後の手段は、あるんだぁぁぁ・・。


 H24.2.28更新  NO522              わがんねぇぇ・・

 いよいよアナロクテレビ放送は、3月31日で終了する。それを受けて、混雑していたUHFテレビ放送帯域のチャンネル再編成が実施される。電波の有効利用をはかるため、地デジチャンネルを整然と並べ余剰の帯域を作るためだ。所にもよるが、地デジチャンネルの変更が7月〜8月中旬頃始まる予定のようだ。

 チャンネル変更に伴い、各地の共同アンテナ等設備の調査を某社より頼まれた。・・なにも、この厳冬期でなくてもいいのに・・と思いながらも、山歩きの足慣らし・・雪山トレーニングにもなるかなぁぁぁ・・等と、苦笑い。かくして2月中旬、順調に里山歩きが始まった。

 先々週の某日、萩荘の奥は林道の途中で車がストップ。やむなく、長靴で林道を進むとカモシカの足跡。賢い。雪の浅いところに足跡が続く。がぁぁ・・杉林に下りていったため、やむなく林道なりに進むが長靴に雪が入り込み四苦八苦。結局現地まで往復1時間半もかかってしまった。この頃は、まだ積雪もそこそこだったが・・・うんんん・・・やっぱり、輪(和)かんじきがほしいなぁぁぁ・・と思いつつ、雪の比較的少ない川崎方面や花泉方面を巡っていた。

 27日ついに思い余って、家で輪かんじき探しをするが、何処を探しても見あたらない。かみさんに「わかん、見ねぇがったがぁぁ・・」と聞けば「わがんねぇぇ・・」と素っ気ない返事。・・・確か・・栃木から帰ったときは車に入っていたが、いつの間にかどこかに出してしまったようだ。何処に置いたが全く記憶に残っていない。・・・わか゛んねぇぇぇ・・輪かん無い・・。

 山に登れず、調査が捗らない。スノーシューは高く、輪かんじきは売ってないだろう・・。結局、省吾さんから借りることにしたが、やっぱり春になる前に一つ作ぐっておぐべがなぁぁぁ・・。


 H23.11.17更新  NO521              携帯ナビ

 数ヶ月前に、自転車・歩行兼用型携帯ナビゲーションが発売された。仕様を見ると、全国の二万五千分の一の地図がダウンロード出来て、山歩きモードでも使える優れ物のようだった。勿論、感ナビならぬ、カーナビは25m表示地図も内蔵だ。行きたい山歩きの地図は殆ど持っているものの、リアルタイムで標高や現在地が分かるGPSとなると欲しくなるのは当然だ。

 しかし、発売金額は39K円と少し割高でダウンロード用メモリーがオプションだ。指をくわえて数ヶ月待つと、何と28K台まで値下がりして、何とかゲット。PROメモリーも4K円弱で16GBをゲットする。・・準備完了・・アウトドア地図のダウンロードを開始した。

 しかし、更なる問題が発生する。通信手段は例のEモバイル、夜間帯はパケットが混み合い通信速度がガタ落ちで180MB位が一時間以上もかかる。・・まいった・まいったぁぁ・・結局、早起きして早朝のダウンロードに数日も費やした。北海道終了・・東北終了・・等々していると欲が出て、行けることのない近畿方面まで取ってしまった。16GBメモリーも80%位となり終了とした。

 かくして、10月29日の牛形山行で実践使用となる。車にセットして、充電しながらカーナビは順調。登山口で車から外し、歩行モードに切り替えてルンルン気分。運動不足がナビにも影響したか、少し登山道から外れる場面もある。でも山頂ではピッタリと合っている。吉家さんのGPSと比較しながら、黙々トレースを綴る。・・・何となく・・良い感じ・・。

 昼過ぎ・・れぇぇぇ・・液晶ライトが消えていない・・気が付くのが遅かった。まずい、バッテリーが怪しくなってきた。省電力モードに切り替えたが約7時間で電源切れ。9時間は持つと思ったバッテリーは、充電完了緑ランプが点いていた割には持たなかった。丸子峠から夏油温泉までの記録を取れず、ガッカリ・残念!!。

 つぎは、補充用バッテリーをチェックしないとね。スマホに2回も満充電出来る5400mWhで今のところ4K円強、送料込みで3800円位が買い時かな。・・それにしても、上手くいかないものですねぇぇぇ・・。・・・地図、一枚あるだけで十分なのにねぇぇぇ・・。


 H23.10.17更新  NO520              衛星交信

 15日夕、従兄弟の7NXIから久しぶりに連絡が入った。少しのよもやま話の後「今日の18時47分頃から国際宇宙ステーションが上空を通る。・・・その時に大槌町の小学生が、吉里吉里小学校に集まりアマチュア無線で宇宙ステーションに滞在中の古川聡さんと交信する・・」と言うお知らせだった。「時間が取れたら、古川さんの声だけは聞こえるだろうから聞いでみろっ!!」との事だった。

 時計を見ると、まだ一時間以上ある。夏場に落雷を回避するために外してあるアンテナの先を探し、430用と間違ったりしながら144用アンテナをトランシーバーにセット。しばらく調子を見ていないため、受信周波数とダイヤルが合っているかは定かではない。不安を抱えながら電源を入れると、メイン・チャンネルは何とか受信できダイヤルのメモリを少々修正する。

 少し早かったが145.80MHz付近をワッチ・・。何だかもの凄く強い変な信号が入っているが、少しずれているので混信はないかも・・と少し心配になる。ステーションは地球上空400Kmを飛んでいる。ただし、この日、日本列島の真上を通過するわけで無さそうなので、仰角を含むとステーションまで500Km位有るかもしれない。障害物は無いとは言っても、本当に聞こえっぺが・・とやっぱり不安。

 11エレの垂直八木は、東北東を向いたまま。衛星を追うことも考えたが、それより受けることに専念することにしてエモテーターの電源は切ったまま。18時47分と思って受信開始・・聞こえない・・れぇぇぇ・・まだ42分?・・間違えた。チョットダイヤルを回し、少し戻すと「・・・・いい質問ですねぇぇ・・」・・「・・ありがとう・・・」等と滑舌も良くハッキリとした古川さんの声が入ってきた。約10分間ではあったが、今、現実に上空を通っていると言う嬉しさがこみあげる。生の声を聞くことが出来て、我も久々に感動する。

 この様子は、16日の国営放送ローカルニュースで出ていました。昨晩の答えとニュースでの小学生の質問が、やっと絡み合って理解できました。小学生の皆さんは良い経験・思い出が出来たことでしよう。本当に良い質問をしていました。えがった、エガッタ!!。尚、国際宇宙ステーションの軌道はJAXAのホームページに出ています。天気が良い日に日本列島上空に来れば、肉眼でも確認できます。


 H23.9.7更新  NO519               なめ猫

 台風12号の影響で、風が強まったある日のこと。我が家の縁側前の犬走りに、使い古しの二槽式洗濯機と息子が持ち帰った梱包されたままの小型冷蔵庫が並べて置いてある。その脇に並べてあった植木鉢を飛ばされないよう整理していたら、二槽洗濯機の蓋が見えず、洗濯機の風下を屈みながら探す。

 少し移動するが見つからず、屈んだまま洗濯機の所に戻り静かに顔を上げると冷蔵庫の上にグレーの固まりがあった。ん・・なんだぁ・・、固まりまで距離は30cm位。じわぁぁぁと焦点を合わせると、何と虎猫の顔がいきなり目の前にあった。・・おぉぉぉ・・何でここに居るんだ・・びっくりしたぁ!!。いつものいたずら野良猫で、時々声をかけていた奴だ。いつもなら3m位は距離を保っている。

 30cm位のままで声をかけても逃げようともしない。よほど眠かったのか寝起きが悪いのか、ジッとして話し声を聞いている様子。めんこい顔をしているが、目が悪いのか図太いか我を小馬鹿にしているのか・・。瞳を細く立てて、おっきな目玉でこちらを見つめている。捕まえて懲らしめてやろうかと思っていると、かみさんがやって来た。

 先日もチャッカリと、車庫に置いた下駄箱の上で寝ていたらしい。視力の悪いかみさんも、いきなりこの猫と対面したと言う。冷蔵庫上の虎猫を見るやいなや「このぉぉ☆△#▽∞※・・・」と一撃!!。するとヤットのこと腰をあげて、ぴょんぴょん跳んでいった。しかし10m位先で、こちらを物欲しげに見ながら座り込んでしまった。再びかみさん「このぉぉ▽∞※☆△#▽・・ほいど猫!」と叫ぶと、何と聞こえたか、気にする様子もなく前足で自分の顔を撫でていた。

 何と図太い虎猫、何時も我らの様子を観察しているのか。餌を与えたわけではないが、あまりにも慣れきっていると言うか我らが完全に舐められているのか・・。昔、大雪山のロープウェー駅で、花の写真を接写していたときに我が顔のすぐ前に現れたセントバーナード犬のでかい顔にもビックリしたが、この虎猫にもビックリした。人畜無害精神も度が過ぎたかな・・。今度合ったら懲らしめてやろうか・・・。


 H23.8.6更新  NO518              やらった!!

 日曜日、山から帰るとかみさんが「キミ(とうもろこし)、貰っていったからねぇぇ・・」と言う。実家に東京の叔父さんが来ているので、是非食べさせたかったようである。すると娘がやって来て、実入の良い物を選び5−6本持っていった。・・あぁぁ・・みんなは食ったが、はづもの、まだくぢに入らねぇぇぇ・・と、ガッカリ。あと2−3日おかないと次のが成熟しない。我慢・がまん・・。

 今年は久々にマミッコにもやられず、順調に成長している。キミ畑を網で囲っているのは昨年と同様だが、今年は更にマミッコが入りづらいよう網を地面に全て固定してある。ともあれ、安心はしていたが毎日、朝晩は畑をパトロール。

 火曜日の朝になって、食いたそうに見えたのか「帰ってきたら4−5本取っておいてぇぇ・・」と言う。・・・そうだ、熟ぐすたのも何本か見える・・取っておぐべぇぇ・・と夕方を楽しみに会社に行く。

 普段なら朝のことは忘れているのだが、腹を減らして帰ると直ぐにキミのことを思い出した。着替えて長靴に履き替え、畑に向かう。桜の木の下には、日曜日に娘が剥いたキミの皮が捨ててあるが少し様子がおかしい。視線を少し上げると、あれほどあったキミの穂先が見えない。網だけが、しっかりと囲ってあるように見える。・・んんんん・・、何か変・・反対側に回ると何と、網が隣の葱の上に敷くように倒され、キミも2本ほど残して他は全て倒されていた。

 あちゃゃゃ・・。やらったあぁぁ・・。誰だぁ・なぬものだぁぁ・・と腹が立つこと・・頭に来た。結構、熟した物も有ったようだ。しっかりと皮を剥いてバリバリ食べている。器用にも、虫の入った物や未成熟の物は食べ残している。・・はづもの、今年は買わねぇば食えねぇが・・とガッカリしながら残り物はないか探し回る。

 倒れたキミを起こしながら、未成熟物を摘み、葉っぱに隠れて踏みつけられた物を見つけて〆て5本。たったの5本だったが、誰かさんに、おこぼれを頂戴したした気分。・・・しかし、何者が食い荒らしたのか・・。マミッコでは、あれだけあった物を一気に倒せられるわけはない。畑が雨で硬くなっていたので足跡はハッキリしないが、直径15cm位のやや丸い足跡が2つほど残っていた。昼間の仕業と思うが、熊の悪戯だったのかも知れない。

 奴としても、生きなければならない。諦めるしかない・・。とりあえず、おこぼれをゆでて食ってみた。半熟でも、うんめぇがったあぁぁ・・。油断した、来年こそは網と電気柵の二段にすっぺ!!。


 H23.6.16更新  NO517              放射線

 先日、一ノ関合同庁舎での放射線測定結果がやっと出ました。地上1mの高さで0.21マイクロシーベルト時とのことで、福島のいわき市での測定結果とほぼ一緒の結果でした。仙台市では毎日が0.10μsv/h前後ですから、一ノ関の数値は距離が更に遠いにもかかわらず、驚きの高さとなっています。この結果の数値を用いて年間あたりの放射線量を計算すると1.1msvとなり、成人者のおおよそ被爆許容量の20msvを下回り安心としているようです。・・が・・本当に安心なんだろうか・・・。ちなみに、一日にたばこ1.5箱、1年間吸い続けると約36msvの被爆量とのことだから、問題ない数値なのかも知れないがぁぁ・・。

 そんなことで少しホッとしていたが、15日に一ノ関・東磐井の学校や幼稚園の放射線測定があり、結果を見て更に驚いた。我が萩中では何と0.31μsv/hで、各所で0.3μsv/hを上回っていました。最大値を記録したのは、千厩の某中学校で0.36μsv/hとなっています。これを年間被爆量に直すと1892.16μsvとなり、1.892msvであるから安心と言えば安心だろう・・が、納得いかない数値です。興味のある方は、一関市のHPを見て下さい。

 福島第一原発が水素爆発をしたのが3月14日。吹き飛ばされた放射性物質が、西側の奥羽山系側に流れ・・更に西風に乗り山形方面から数日かけて漂っている内に、雨や雪に混じり一ノ関に落ちてきたものだろう・・。西側だから高い数値とはなっていないが、降水量が多い地区に比例するように数値が高かったようです。

 市営牧野では1000ベクレルを越える数値を記録し、藤沢町の牧草からも高い数値が出ているといいます。各所の校庭にも同じように、放射性物質が積もっているのだろう。たぶん・・放射性物質は原発からもう飛び出してはいないと思うので、今後増えるとは思わないが、地表を足でけどばしたりして埃を立てるような行為をすれば、強く放射性物質に触れることになるだろう。また、主な川の源流の少し下流部などは、洗い流され濃縮された放射性物質が多量に流れてくる可能性もある。更に同じ物質量でも、早い呼吸は吸い込む量も多くなり被爆量が増える。

 関わる放射線を減らすには、雨にもあたらず、雪にも節電で夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、山歩きの欲はなく、決してよく張らず、何時も静かに笑っている。一日に最低1Lの汚染されない水を飲み、みそと汚染されない少しの野菜を食べ、あらゆることを、自分を勘定に入れずに、放射線量を良く見聞きしわかり、そしてわすれず、野原の松の林の陰のベクレルに気つけ、小さな我が家にいて、たばこも吸わずに、かみさんに怒られもせず、ほめられもせず、西の山でゼイゼイ・ハアハアする人あれば、行って分厚いマスクを渡し、東で草刈り大汗をかくひとあれば、行って全身洗い流せと言う。(中略)再びほめられもせず、くにもされず、そういうものに、わたしはなりそうだ・・。


 H23.6.2更新  NO516             蛍と蛍の光

 昨日、一瞬ではあるが約100μsv(マイクロシーベルト)の放射線を浴びてしまった・・。と言っても、大問題を引き起こしているヨウ素やセシウム137の放つベーター線やガンマ線ではなく、X線だったわけで少しは安心。そんなことで、放射性物質とか放射線のことが気になり始めた。

 A日新聞には毎日、南・東北〜関東方面の大気中で観測された放射線量が記載されている。それによると、福島第一原発から遠くなるに連れて数値は下がっているのは当然だが、栃木県の那須、日光地区は割に高い数値となっている。セシウム137とかは、揮発性で風に乗り万遍なく広がっているとは言え、飛散する高さ(標高)も問題視しなければならないようだ。

 気になりネットで調べると、5月29日表記のM日新聞HPで「山の残雪からもセシウム検出」との記載を見つけた。4月17日〜5月5日に、山岳愛好者が安達太良山系から採取した残雪の放射線量を分析した結果が載っている。それによると、箕輪山東斜面1338m地点で雪1kgあたり2968ベクレルと最高値を示し、安達太良山東斜面1530m地点では775ベクレルやその他の箇所についても高い数値を記録したとのこと。東風の当たりにくい場所は、比較的少なかったようです。

 有名な方の譬えで、放射性物質は蛍、放射線はその蛍の光のような物という。その蛍が標高1500mあたりを飛散して大量に山に降りていた事になる。勿論、その光は通常時と比較にならないほど発光されているのだろう。本物の蛍なら、夜中でも本が読めんべなぁぁぁ・・。・・となると・・・安達太良に限らず、高い山は気を付けろと言うことか?。やんだぐなっちゃねぇぇぇ・・。

 ベクレルは放射性物質が放射線を出す強さの単位。蛍の数みたいな物らしく、放射性ヨウ素を発光する場合、飲料水・牛乳1kgあたり300ベクレル以下、野菜類1kgあたり2000ベクレル。また、放射性セシウム発光なら水・牛乳1kgあたり200ベクレル、野菜類1kgあたり500ベクレル以内まで付着又は進入の物なら食べても良いと暫定的に厚生労働省でもうけている。

 まあ、山が2968ベクレルと言ってもその放射性物質(蛍)を食べるわけではないので、あまり気にしなくても良いと思うが放射性物質は水で洗い流せるため、逆にその水の集中する場所はベクレルが高くなり放射線量が増すので、そんな所では慎重な行動が求められる。また、風や足踏みで再度飛散する場合もあるかも知れないので、吸い込まないことも大事。勿論、マスク・眼鏡を着用。帰ったら体を洗い、衣服も洗い流す。

 ベクレルはピンとこないが、1年間に普段の生活の中での放射線量は2ミリシーベルト(2、000μsv)浴びているとのこと。米国の原子力産業従事者の年間許容被爆量は50msvとのことなので、それ以下なら影響は殆どないでしょう。ベクレルとシーベルトの計算・換算が出来るHPがあるので、計算して安心するか・・生活の目安にしましょう。検索、確認してけらぇん!!。

 尚、放射性物質(蛍)が放つ放射線(蛍の光)の内、光が弱まる半減期はヨウ素が体内に取り込まれた場合で100日程度で半分になるが、セシウム137が土壌等に放置された場合は30年と長くなるとのこと。また、土壌に降り積もった場合は約1年で1cm沈むという。そんなわけで、水に流されるなど自然界の影響があったとしても、強く汚染された場所には30年以上近寄れないでしようね。気になる山に登る場合は風下側の西の方から登り、ガイガーカウンターも装備した方が良さそうです。


 H23.5.12更新  NO515            尾瀬売却?

 東日本大震災により、福島の原子力発電所も大変なことになりましたね。非常に危険な放射能汚染で、場所によっては今後、数十年も住めない・耕せない・・等の障害が続くようです。震災・つなみに破壊されたあげく、とても恐ろしい事故になったわけです・・・。悲惨な状況に、お見舞いの言葉も出ません。

 加害者である東電では、当然、保証・賠償等の義務的行為が発生するでしょう。そんな中、先日一部の報道に「東電が不動産1,000億円売却・・賠償金に充てる・・」と出ていた。それの一つに「尾瀬国立公園の東電が保有している分を、手放す検討をしている・・」との記事があった。報道機関一社だけの記事で、その後某社のHPには見あたらなかったが、12日になって群馬県知事が反対していると関連記事が載った。もしかすると、本当の事になりそうだが確認はできない。

 もしも本当だとすると、尾瀬はどうなるのだろう・・。日本の国立公園は奇なもので、国有地でも私有地でも国立公園として設定でき、あくまでもその形態を管理・規制するのを国かやる事になっている。尾瀬は、今のように環境がどうのこうのと言われる以前にダム・水力発電をするため、東電の前進会社が民間から買い取り水利件を設定した。そうした経緯で東電は尾瀬国立公園の4割程の土地を保有している。しかしながら、貴重な大自然を破壊してはいけないと、自然保護運動が始まった。尾瀬は日本の「自然保護運動」の発祥地となった。

 当然、東電は開発行為をやめて、木道の整備や植生の回復活動等を積極的に実施し、子会社と共に環境保護支援会社となっている。勿論、その行為を通じて大々的にTVコマーシャルを放映・・東電のイメージアップに努めていた。見方を変えれば、なんだか・・尾瀬は、土地の所有者の東電と子会社に支配されているようにも思える。

 売却、買ってくれる所が国だとすれば、文字通り国立公園となり環境省、保護団体も気兼ねなく保護活動が出来るだろう・・がぁ・・規制が強化され小屋も駄目・・橋も整備予算が無くて駄目・・等々悪い方に考えてしまう。一方、人によっては、あの土地は不動産として二束三文とも言う。もしも、民間の手に渡ったら・・環境省の規制はあると言っても、やりたい放題の可能性も・・。

 子会社に売れば、ほぼ今まで通りかも知れないが、せっぱ詰まった身内が出せるわけがない。手放すと言っても賠償金には程遠い金額だろう。やっぱ、被災者のためにも国が数百倍で買ってやるのが良いのかも知れない。・・いずれ東電は尾瀬の保護活動どころではなく、電気料金の値上げや消費税の上乗せ等々に発展するだろう。・・・負担をになうのは、我々国民ではあるのだが・・。・・・なじょになるのだが、しばらぐ注視したい。


 H23.4.21更新  NO514            鬼剣舞

 花巻時代に、一眼レフカメラを買った弾みで、某写真クラブにお世話になっていた。写真の題材として、蒸気機関車や動植物に山岳風景等々尽きることはなかった。しかし、大きな動きと大迫力が期待できる、地元に伝わる郷土芸能が一番の題材でもあった。

 先輩の誘いで「岳の早池峰神楽」とか、初めてみる「花巻・鹿踊り」や「岩崎・鬼剣舞」を撮りに出るが、迫力満点で難しい被写体であった。良く見た写真展には、宙に舞っている素晴らしい作品が多数見受けられて・・我もあんな写真を撮ってみたいものだぁぁ・・等と心躍ったものであった。

 当時は郷土芸能を見に行っても、撮ることに気持ちを奪われて、迫力は感じても踊りの内容や流れは良く記憶に入らなかった。しかしながら、太鼓に横笛や手平鉦の響きを聞けば心ウキウキ・・思わずカメラやビデオを構えたくなり、ややっこしいストーリーはどうでも良かった。

 しばらく郷土芸能には縁はなかったが、2月、全国高校総合文化祭の郷土芸能部門・伝承芸能部門で文化庁長官賞・優秀賞を受賞した県立北上翔南高等学校・鬼剣舞部の舞を見る機会があった。

 文化センター中ホール、少し狭い舞台であり舞手は少ないだろうなぁぁ・・と思いながら緞帳が開くのを待つ。やがてブザーが鳴り緞帳が上がる。奥に手平鉦2名、太鼓1名、横笛4名がずらりと並び生演奏が始まると右袖より舞手が2名・・4名・・と出てくる。狭い舞台一杯に15−16名の舞手がそろうと、かけ声と共に一斉に鬼剣舞が始まりバランス良く配置されテンポ良い迫力の舞に魅了させられる。

 舞には一番庭の狂い、二番庭、刀剣舞、八人加護、膳舞等があるそうだが、一番庭の狂いや刀剣舞は尚更見応えがある。本場、師匠である岩崎鬼剣舞保存会の皆さんの舞も素晴らしいが、新鮮な若さと統制の取れた素早い動きには涙が出るほど感動させられる。さすがに文化庁長官賞を受賞するのは、当然のことのようだ。全員、舞台の広さに難なく対応できる様子で、接触や衝突など無く、面や装束は伝承保存会と同様の物のようだ。

 とにかく、すごい!!本物だ。感謝・感激・雨霰。演奏も舞手も真剣勝負でもあり、15分位も続けて太鼓を叩くめんこいお嬢さんからは喜びの笑顔もさしている。演奏者、舞手共に「鬼剣舞」の伝承・舞うこと・演奏することに誇りと自信を持って、心より楽しんでいるようだ。はつらつ・・さわやかな汗、まさに青春そのものだ!。

 17日の陸前高田では、被災者の花見会が開かれた。その席で北上・二子鬼剣舞が舞われて皆さんを元気づけた様子。多分・・おそらく・・湘南高校の鬼剣舞も被災者の皆さんを勇気づけ・元気づけてくれるだろう・・・。我としては、本当に感動と元気をもらったのだった。・・輝け!!北上翔南高校!!・・。


 H23.3.31更新  NO513           支援物資

 震災直後より、3日間程の広域停電に各ライフラインの停止。避難・疎開生活を強いられていた中、我が集落の夜は皓々と明かりが点いていたらしい。鉄工所に機械修理の内職屋さんや土建屋さんなどが揃っていたためか、発電器やインバーターを持っている人が多くいたのだ。

 徐々にスーパーやホームセンターが開くと、我先にと殺到・・困った事態が続いた。勿論、発電器に DC−AC変換インバーターや自転車は在庫切れだった。昔、発電器の斡旋をしたことが有ったが、我も揃えておくべきだったと反省する。

 ガソリンの調達は4−5時間待ちの状態から、1時間前後まで待ち時間が縮んだこの頃だが、再び、非常事態が発生した。JT社が25日、震災の影響で一部の工場が停止しているため生産量が追いつけづ、30日の出荷以降4月10日まで出荷停止と発表した。休日前に発表したから堪らない。一ノ関市内は勿論、震災の影響で物流が停止していたため各地も補充ストップ状態。各店・自販機は全ての銘柄がたちまち売りきれとなった。

 我が社向かいの雑貨屋さんは、しばらく売り切れる様子はなく楽観視していた。しかし当社の仲間も、その発表を見て慌てて買い込んだようだ。今週の月曜日から、自販機前を流していく車が多く見られた。ガソリンの高騰と調達に時間がかかる中、やっぱりニコチンには勝てない様子。哀れと言うか気の毒というか、苦笑しながらたばこを探し回っている車を見送るがぁぁぁ・・・!?。

 我が社にも、買い遅れた人が数名いた。しかし、頭の回転が速い人は気が付いた。夜行バスで帰郷する友人に連絡して、買って来てくれるように手配済みと言う。なるほど・・・物流の回復が早かったせいで、関東圏には在庫が結構有るらしかった。それを聞いたもう一人・・「・・さん、頼んで下さいよぉぉぉ・・」と言う。緊急事態・・それは支援物資と決めつけ、関東圏のお友達に連絡してみる。すると、有り難いことに有ったから送るとの返事。

 えがった、えがったぁぁ・・。ニコチン中毒者にとっては、たばこは薬みたいな物。この時期に、不謹慎なお願いだったが、有り難い支援物資に感謝・感激でした。・・・・代金は、少し多めに送りました。チョット、たげえぇ、たばごだったがなぁぁぁ・・・。なお、たばこやさんからの情報だが、4月4日頃には外国たばこだけは入るとのこと。


 H23.3.24更新  NO512           東北・関東大震災

 3月11日14:30頃、本社のA部さんにH川局長と少し早い談笑タイムとなっていた。A部さんは、52インチテレビと我が勧めのBDレコーダを買った・・と高笑い・・等々・・。14時46分・突然、緊急地震速報のけたたましい警報音が3名の携帯から発せられた。ん?なんだ何だと携帯を覗いていると初期微動がやって来て、振れが大きくなり尋常でない揺れに慌てて全員外に飛び出した。

 ふらつきながら外に出ると、更に輪をかけるように大きな揺れが続く。立っていられない!!長い!!強い!!、こんな揺れ方は生まれて初めての経験。電柱・歯科医院の3階建ても崩れんばかりに揺れている。・・揺れが収まって少し興奮が収まるが、内部はもうめちゃくちゃになっていると思うと再び興奮、復旧できるのはいつ頃に・・等々と頭が真っ白になる思いがした。

 連鎖的に大きな地震が、日本海溝付近を北へ南へと移動。明治以来最大級の大津波も各地を襲撃、映画「日本・・・」を思わせる大災害だ。2週間経った今でも余震や、各地で誘発?地震が相次いでいる。富士山・南東の地震も、回数が少し多くて気になる。更に東南海方面に移らなければ良いのだが・・。

 当地は沿岸部と比較したら、数日間の停電と断水に燃料不足とチョイと家の中がゴチャゴチャした程度で、申し訳ないほど軽微な災害で済んでいる。(会社は大変だったんだからぁぁ・・。未だに余波が続いでんのっしょょょ・・。)被災された皆様には、改めてお見舞いを申し上げます。

 我が家は、比較的耐震基準に合った娘宅で、電気が生きるまで4日間の疎開生活。叔母親子も招き入れ、互いに食料品を持ち込んで摂生生活。間の休日を利用して、自宅と叔母宅の後かたづけと大工さんに水道屋さんをこなす。悪いことに2件の仏事も入り、修理作業が捗らなかった。2週間経ったら、何だかダイエットに成功した模様。腹一杯食えなかったのが効果を発揮したか・・。

 地震当日諦めていた地デジテレビは、3台共に倒れずに生きていた。唯一・・・良かった・よかったと胸をなで下ろした。・・まだ・まだ余震が続き少し大きめの地震も来るかも知れない。みなさん、キャスター付きの台やタンス類の更なる耐震補強対策をしておきましょう。


 H23.2.25更新  NO511           テイスティング

 一ヶ月ほど前、面白そうなアンケートが届いた。返信用の葉書には、簡単な数項目の質問。アンケートに答えた方には、もれなく多機能ナイフとワインをプレゼント!!と書いてあった。・・・えぇぇ、15機能のマルチナイフ・・欲しい。昔、5得ナイフ等と言った、登山者が良く持ち歩いたあの種のナイフである。それが15種類も付いたナイフだ。おまけに、ドイツワインがもらえるらしい。応募しないわけにはいかない・・早速、アンケートに記入して投函する。もれなく・・美味しいワインと15機能ナイフが届くだろう・・と、心ウキウキ待っていた。

 先週の木曜日の夜、突然電話が鳴った。かみさんが受け「ワインが何とかだどっしゃゃゃ・・」と受話器を渡す。何のことか聞き直すと、女性の声で「23日は、ご都合はいかがですか・・」と言う。ん!?何だったっけぇぇと思い出すのに苦労したが、ワインのプレゼントと言うより、来て8種類のワインのテイスティンクをプレゼントするとのことだった。直接お邪魔するとのことで、15機能ナイフも持ってくるとのことだった。・・・夜にわざわざ我が「むじな小路」まで来てくれると言い、ドイツワインが”ただ”で飲める・・の一心でお願いする事となった。

 ワインに限らずアルコール類には目がない小生、ワインと言ったらエーデル・ワイン、月山ワイン、山形のラフランス・ワイン位しか分からない。そうだ、利府の梨ワインも美味い。早々とワイン・ソムリエ気分でその日を待つ。

 23日は早々に帰宅。明るいうちに調べておいたのか、時間通りに「ピーロート」ワインの代理店のワインコンサルタントの若いお嬢様がやって来た。かみさんと少し緊張しながら、まずは世間話。当然、山の話しから始まり、お嬢様も岩手山に登り、次は富士山に登ってみたい・・と言う。・・・これは気が合いそうだぁぁ・・と気持ちが解れたところで、テイスティングが始まった。ジュラルミンの大きなケースに8本のワインが立っている。・・・早く・・早く・・。すると酒の杯グラスの様な、小さなプラスチック・カップに初めのワインがそそがれる・・が、カップの底から約3mmで止まった。えぇぇぇ味、わがっぺがぁぁ・・と少し期待はずれ・・。

 慣れた手つきで次から次と説明して、試飲させてくれる・・。本場、ドイツ・ワインが6種類とフランス・ボルドー地方のワインにイタリア・ワインだったかなあぁぁぁ・・。それぞれ個性があり、中でもピーロート社のアイス・ワインは女性でもグビグビいけそうな口当たりの最高な味だった。(アイス・ワイン:完熟させた葡萄を凍るまで収穫しないで、凍ったものをシャリシャシと砕き、仕込んだものとのこと。)しかし小生としては、少し甘口の2番目に飲んだものが月山ワイン甘口に似て、一番口にあっていた。

 約一時間のワイン談義に山談義、思いがけない楽しい一時が瞬く間に過ぎていった。「ピーロート・ジャパン社」では殆ど小売りはしていなく、ホテルとかレストランへ直に納入しているそうだ。注文は、一箱6本入りか12本入りの箱単位となるが、ネットか盛岡の営業所で受けられるとのこと。贈り物や結婚式のお土産などに人気があるらしい。興味のある方覗いて見て下さい。http://www.pieroth.jp

 勿論、15機能ナイフは届きました。ワイン・オープナーやはさみに魚のこけら落とし等々、なじょすて使ったら、ええべなぁぁ・・。ナイフ部の長さは規定以下らしいが、公共の乗り物などに乗る場合には怪しまれるかも知れない。昔、海外出張のおもやげに貰ったものは、使わずにしまい込んだまま。・・折角の物だが、また机の中に入りっぱなしかぁぁぁ・・。・・・それにしても、普通サイズのコップ一杯分は、飲んでみでぇがったぁぁぁ・・。


 H23.1.27更新  NO510         地デジ促進委員長便りNO10(釣り山中継局の件)

 アナログ放送終了まで6ヶ月を切った。少し前までは地デジ送信所が少なく、電波の届く範囲が限られていて放送終了なんてできるか心配は尽きなかった。しかし、昨年11月下旬頃までに次々と小規模の中継局が出そろってきて、一部の共同受信設備を除き、従来のアナログ放送受信地域を殆どをカバー出来るようになった。(ただし、簡易調査で、現在カバー率90%位と聞く)

 我が家では、盛岡波も仙台波も束稲波も全て見通しが効かず回折波しか届かない。唯一、室根波(垂直偏波)が見通しの効く直接波となっているが、受信は出来ても距離が長く、日により不安定で使いものにならない。とりあえず、束稲の回折波で我慢の日々が続いている。

 12月に入って、待望の釣り山中継局が出来たらしい事が分かった。しかし、通りがかりに見上げている釣り山中継局は、いつものままで地デジらしきアンテナは見あたらない。アナログ用と兼用するアンテナか・・等と思っても、どぉぉも納得できない。・・まあ、年の暮れも迫り、そのうち雪になれば屋根にも上がれない。アンテナの切り替えは春になったらやんべぇぇぇ・・と、しばらく釣り山中継局のことは忘れていた。

 某日、たまたまネットで釣り山中継局のネタを発見。すると、釣り山中継局ではあるが、建っている場所が萩荘の一角になっているではないか。地図を調べても、どのあたりか良く解らない。・・もしかして・・あそこ・・と、逆に運動公園の住所を検索してみる。すると、見事に住所が一致。・・ほんだれば、釣り山でねぇくて、箱清水中継局だべちゃ・・。

 どのへんさ、でぎだんだべぇぇと、先の日曜に、確認のため双眼鏡を持って散歩に出かける。程なく、運動公園の南側高台の水道給水塔が見える場所に出る。・・ん、何だあれは。肉眼でも給水タンクの脇に黒い鉄塔らしきものが見える。双眼鏡で覗くと、どぉぉもそれらしき鉄塔だ。・・よし、行って確認してみっぺ!と車に飛び乗る。

 公園・野球場脇に車を止め、雪中行軍開始。高度を上げるとアンテナの先が見えて確信、これが地デジ・釣り山中継局のようだ。更に登ること約5分、UHFのバラボラ型受信アンテナに各局の送信アンテナと能書きを書いたプレートを確認。送信出力は1Wしかないらしいが、地デジ空白地帯の厳美方面がや赤荻の仙台波しか入らない地域なども快適エリヤとなるだろう。そして、現在の釣り山局より約900m南西側の標高約130mの山のピークのため、宮沢方面にもとどきそうだ。

 我が家も、完璧な見通し距離となっているようだが、運悪く300m程前の杉林が遮る。この杉林が何db減衰させるか心配だが、春になったらアンテナをむげでみっぺ!!。それにしても、良い場所を選んだものだ。電波の空白地帯の宮沢地区もエリヤに入れるなんて気を使ったんだねぇぇぇ。・・さぁぁぁ、運動公園上の給水タンクの見える方は、地デジ・アンテナを向けてみよう・・。


 H23.1.13更新  NO509             なづかしぃ言葉

 先日の日曜は、我が集落で祝年会があった。某神社の神主さんにお願いして、各戸の春祈祷と厄歳者の厄払いが行われて、引き続き、新年を祝う宴会が行われた。毎年恒例の行事、今年は厄男としての参加。飲んで・・飲まされて・・また飲んで・・と嫌いではないだけに、大変な午後でした。

 夕方、千鳥足で帰宅してしばらく休んでいると「こんばんわわわわわ!」と数人の声。それぞれ一升瓶を片手に、隣組の(元)わげぇすたずが玄関に立っていた。改めて、お祝いに来てくれたのであった。「・・やぁぁやぁぁぁやぁぁぁ・・さっきはどぉぉもぉぉぉ・・さぁさぁぁぁ・・ながさ、はえってけらぇん・・」と招き入れ二次会ならぬ祝い込みが始まった。

 だいたいがみんな出来上がっているので、なんだり・・かんだりの話が出てくる。7日の晩、裏の障害者就労施設で小火騒ぎがあった。その時の消防車のサイレンが、うるせぇくてビックリしたとか聞こえなかったとか・・。直ぐ脇には特老施設等があり、よく救急車も来るのでその音と間違えた・・と言う人も・・。割に回数が多いので「・・ほだぁ、ほんだぁぁ・・ししておぎだぁぁ・・」と誰かが言う。ん!?・・久しぶりに聞く言葉、みんな聞き返すと「ひしておぎょょょ・・」と繰り返し、思わず妙に感激しながら大笑いとなった。

 要するに寒くなった近頃、サイレンの音がほぼ一日おきに聞こえるとのことであった。高気密住宅に住んでいる言いだしっぺのA部さんは、消防車の音も救急車の音もかすかにしか聞こえず同じに聞こえたりで、良く聞こえず気が付かなかったらしいが・・・。「しして、ひして・・」懐かしい言葉。山形等やボンと跳んで高松でも使っている言葉のようだ。語源は「日を通して・・一日中」を表している言葉で日を通して・・ひして、ししてと訛ったようだ。・・ちょっと昔の言葉が出てきた。なづかすぅぅがったですねぇぇぇ・・。ちなみに次の日は休みなので、よっぴで、飲んでしまったぁぁぁ。


 H22.12.23更新  NO508             ハタハタ

 秋田名物と言えば・・はづもり、はだはだ、おがで、おがぶりこ・・となっている。海が荒れて雷も混じる、今頃の季節が漁の最盛期となるという。スズキ系の深海魚の仲間のハタハタ、特に秋田県民の方々にはこの上もない好物であるようだ。歌で言うブリコはハタハタの卵なわけで、そう言う意味では男鹿でハタハタ、はづもりでブリコでも良い訳だが・・、ゴロ合わせのためにそうなったのだろうか。

 その秋田県民の大好物が、我が家に届いてしまった。ハタと困った。わぁぁぁ・・なじょしてくうべぇぇぇ・・。煮ても、焼いてもあのブリコは全体がねっとりして、噛めばガムのよう・・そのうちに生臭さが口に広がり飲み込むタイミングを失う・・。以前に飯鮨のハタハタも食べてみたが、酸っぱく生臭さがたまらなく口に合わない・・。我としては、好き嫌いは全くないと思っていたが、ガキの頃からハタハタだけは絶対に食べたくないと思っていたことを忘れていた。

 ぬるぬる・ねっとり・・どうしたら美味しく食べられるのだろう。食いがだ、わがんねぇがら・・とりあえず、言われたとおり蒸してポン酢で食べてみるが、卵の固まりに箸は届けられなかった。白身と白子は何とかなったがブリコは拝んだだけ。おがんでブリコ・・?。・・・かみさんと何とか半分片付けられたと安心していたら・・後日、兄貴夫婦がやって来て「はい、おみやげ!」と差し出した。

 えぇぇぇ・・ハタハタ!!。どうやら、弟が兄弟全員にお裾分けした様子。(ずぶんだず、くわねぇで、みなよごすたんでぇねぇぇがぁぁ?)お兄さん夫婦も少し手こずった様だ。・・塩焼きにしたハタハタ、香ばしいかおりがする。雌より雄の方が美味く食べられそうだ。アルコールでごまかしながら、お兄さんと旨い・美味いと食べ合いました。弟よ・・ごつぉさん!!。


 H22.11.4更新  NO507             新しい発見

 10月上旬、山々は、待ちに待った紅葉シーズンを迎えた。早速、第一週の土曜は須川岳の山頂部の紅葉を楽しんだ。次の土・日は温泉付近が絶好調の予想で、大渋滞を避けるため行くのを控えた。更に次の週は、まだ紅葉が楽しめそう・・と、遅い出発だったが、かみさんを誘い宮城まわりで須川方面を目差した。

 セルフで給油しコンビニで軽食を調達して、出発は11時40分頃だった。萩荘から岩ヶ崎の町へ。ん十年ぶりのコースで懐かしく進み、信号機もなく出てから30分程で岩ヶ崎の町中核心部へ。旧栗原電鉄の何とか駅付近にあった有名なラーメン屋さんを見つけられずに、そのまま鶯沢の町へ向かう。右手奥に栗駒山が頭に雲をまとって見えている。紅葉は山麓近くまで降りているようだ。

 程なく鶯沢工業高校が見えて、T治さんを思い出しながら鶯沢の小さな町中へと入る。「・・何だか腹減ったなぁぁ・・」と風景を思い出しながら進む。するとマインパークなどに行く、十字路が見えてきた。・・そうだ、そこの右角に山帰りに寄った食道があったはず・・と思い出す。あった、食道だ・・飯だ・めしだ・・交差点を右折し食道隣の公園に車を入れる。

 食道の駐車場は満車状態。公園にまわって正解だった。「だるまや」と書かれてあり中は昔のままだが、建物の外側は朱色に塗り替えられていた。1階には、3名分位のカウンターと二人掛けのテーブル席が二つに1.5畳位の畳の席がある。先客が立ったテーブル席に付き、○○と○ンを下さいと注文する。

 テレビが点いているが後ろ向きで見えず、音だけ聞き店内をきょろきょろ眺めていた。すると何かの写真や新聞の切り抜きが、あっちこっちに張られている。・・何だべぇぇ・・と、良く見ると「東京タワー・・オカンとボクと時々オトン」がどうのこうのと言うことらしい。オダギリジョーに樹木希林・・?。どうやら、東京タワーに出演した俳優さんなどが、この店を訪れていたようだ。・・と言うことは、よほど美味くて有名な店なのだろうか・・。

 「おまちどうさまでした・・!」と、やや小さな声。期待を込めて、かみさんとズズズズッ・・まあ悪くはない味・・・。先に食べ終わり、再び新聞の切り抜きに目を向ける。それによると、閉山した細倉鉱山の昔のままの宿舎が残っていて、その宿舎が映画「東京タワー」の時代考証に良く合っていた。主人公一家?が九州の筑邦炭坑で暮らしていた頃の設定で、宿舎を居酒屋風に飾ったりして「東京タワー」のワン・シーンが撮影されたとの事のようだ。

 映画は2007年4月に公開されたとのことだが、我は栃木に赴任中でそんなことは全然知らなかった。その数年後にTVでも放送されたが、まさか細倉鉱山の宿舎が使われていたとは夢にも思わなかった。山形・庄内の映画村ではないが、以外にも近くに映画のロケポイントが有ったんですね。新しい発見をして、何だか得をした気持ちで開通したばかりの国道398号〜須川温泉経由・国道342号ドライブを楽しんできました。・・・またまた、見たい映画が増えてしまったぁぁ・・。


 H22.10.21更新  NO506             良いモバイル?

 朝、完全充電して持っていった携帯、昼ごろになって間違い電話が入り一発でバッテリーあがり。内蔵のカメラは、数ヶ月前に悪いものを映したのか機能不良。とうとう・・新機種に交換することになった。・・・昔は、殆どただだったが・・たげぇぇちゃねぇぇぇ・・。しばらくの毎月、5千なんぼも取られるよう・・。なるべく、使わないようにしよう。

 そんな、出来れば使いたくない携帯電話。その電波の一部を使ったモバイル通信網が、この地区にもやってきていた。その電波帯域専用のUSBチップなどを取り付けると、無線で高速インターネットが楽しめるとのふれこみだ。・・噂には聞いたことがあったが、先日、某プロバイダーから入らないかとのお誘いが来た。

 我がINS回線はスピードが遅くADSLに切り替えようか検討するが、局からの距離の関係でそれほど早くならないようだ。光では贅沢すぎる・・CATVも来ていない。・・そうか・・このモバイル通信が最適かも知れない・・と言うことで、サービスエリアを確認してやってみることにした。

 約2週間後、サービス期間中と言う”ただ”のUSB端末が届いた。軽く設定作業をやると早速「接続」の催促。エクスプローラーを起動すると、やや早い画像表示。・・・んんん・・なかなか良いかも知れないと、やや満足。しかし、メールの送受信が心配だ。接続は某BIGLOBEで、BIGとkurikomaの両方を探り、BIGでは送ることが出来なければならない。

 なかなか、ややっこしい。設定に四苦八苦、メールは何とか送受出来たがHP更新の設定が上手くいかない。モバイル接続はBIGだがHPはkurikomaに入っている。結局の所、INS回線を解約できず、しばらくは両刀使いになりそう・・。良いぃぃモバイルも、しばらくは良くならないようだぁぁぁ・・。


 H22.9.9更新  NO505              小旅行

 8月、某自動車販売店のTC南岩手で、車を貸し、ガソリン・・ホテル代など持ってくれる「・・・気まぐれドライブ」キャンペーンに応募した。それには、ドライブプランを添えなくてはならない。・・色々考えた結果、7月の月山山行で寄り道できなかった所を再び回ってみることにして新たなプランを立てて応募した。

 当たれば、出発予定日の2週間前を目途に連絡をくれるとのことだ。宿泊先の予約は取っていなかったが、何だか当たりそう・・と、ワクワクその日を待っていた。応募用紙を持っていったかみさんは、行く気まんまんだぁぁぁっ!。

 実は、そのキャンペーンを教えてくれた会社の先輩も応募していて、互いに「連絡あったぁぁ・・」などと話していたが、無情に月日は流れるばかり・・。かみさんは諦められない様子。よす!!いぐべぇぇ・・と言うことになり、出発4日まえになって宿泊予定先のホテルをネットで探しまわる。ふところ具合を考えながらの検索なので、なかなか気に合う所を見つけられなかったが妥協して、真ん前が湯野浜海水浴場というホテルを予約出来た。

 当選を諦めての自腹小旅行、更に行って見たいところを思い直す。以前にテレビで見た、3人しか住んでいない古寺地区・・最近テレビで見た、その手前の雨漏りする草葺き屋根を見上げていた何とかさんの住む大井沢地区・・船乗りが使う特殊な編み方のロープ、邊さんの親父さんが綯って奉納したと言う鶴岡の善宝寺・人面魚も良い・・などなど、欲がドンドン沸いてくる。・・・そうだ、姥沢のリフトだの、庄内映画村もえぇぇべなぁぁ・・てな具合。

 かくして9月4日〜5日、予報も外れてまあまあの天気。おまじないのこうもり傘が効いたようで、かみさんとの珍道中が始まった。・・・様子はこの下の「とごだり観光日記」に記載予定・・少々お待ち下さい。 例のキャンペーンは、まだ続行中だ。10月一杯までの出発予定まで応募可能のようです。・・あど、二回ぐらい、だしてみっぺがなぁぁぁ・・。あだったら、くるまかえでもいいょょぉぉぉ・・、TC南岩手さん・・。


 H22.7.22更新  NO504             同級会

 17日の午後、某中学校の同級生一同は、某ホテルの送迎バスで気仙沼に向かっていた。南は九州・熊本・・北は北海道の室蘭で、ちっぽけな学校から・・良くもこんな広範囲に散らばったものだ。そんな仲間達と、ヶ月から三十数年ぶりの再開である。久々の故郷、見慣れない風景に見入っている人。ああだ、こうだと、世間話に興ずる人・・・アルコールを我慢しているわけで、比較的静かに現着を待つ。

 全員そろって、海の神様のご祈祷を受け、塩化物系の温泉に浸ればもう我慢も限界だ。18時、写真入りの名札をぶら下げ、赤い手ぬぐいを首に巻き、声たからかにカンパァァァァイ!!。戦争を知らない、昔はおじょうちゃま・おぼっちゃま、飲むす・・食うす・・しゃべるす・・おしょすものは何もない。バスの中で、神妙にしていたのは嘘のようだっちゃゃぁぁ!。

 やくざ踊りに、何とか音頭・・さすがに年期が入り、何でも出てくる。互いの顔には面影が浮かび、いつの間にか脳の中に若い自分たちが居座っているようだ。よその人が見れば明らかに年寄りではあるが、仲間同士だと全く昔のままに見えてくる。互いに歳を感じないままに、宴は続く。

 あちら・こちらに円陣ができ、輪に入っていると、聞き覚えのある曲に気づき振り返ると・・すばるよ・・と、見慣れない叔父さんが歌っている。れぇぇ・・良く見ると、谷村新司??・・。鼻のめくれ具合、ヒゲの具合に帽子、衣装や歌うそぶりまでもが良く似ているではないか。全員から拍手喝采のおお受けだ。宴会の太鼓持ちも、ここまで来ればプロクラスである。・・・たいしたもんだぁぁぁ、我が同級生にも大役者がそろったものだぁぁ・・と、感動し感心する。・・改めて良く見ると、清水アキラの谷村新司という感も、しないでもない。レパートリーも広く、ラッツ・アンドスターだったけぇぇ・・黒く塗ってやってのけた。

 NSPを出した某高専の出身。この木・・何の木・・のお堅い大手の電気会社にいたのだが、昔からスター気分になるのが、すぎたったんだべねぇぇぇ・・。小道具一切を担いでの、お披露目だった。二次会でも、アンコールにこたえ、大盛りあがりで三次会に移った・・。 尚、個人情報の関係で、写真は省略しました。・・ほんと、ぬでだったよぉぉぉ・・。めしぇでぇがったなぁぁぁ・・。


 H22.7.8更新  NO503            葉の付いたキュウリ

 赴任生活が終わり、自由・気ままのきかない最近であるが、早起きしての朝仕事の習慣が未だに戻ってこない。・・朝っから草刈りなどすれば、汗をかきシャワーを浴びてたりで面倒・・会社に出ると疲れも出て仕事にならない・・などと、朝仕事スタートに踏ん切りが着かないでいる。・・・きままになってきた ・・みたい・・。

 それでも、少し頑張って早起き・・、なりものが大きくなり始めた野菜のチェック。手頃なものは、チョイと収穫に励む。それが終わると、某地元紙と中央紙の新聞の見比べが日課となっていった。

 先日、そんな朝を過ごしていたら某地元紙に「葉の付いたキュウリ」の話が載っていた。・・里芋に花が咲いた・・とか、ん十年前にも似たような記事を見た記憶があり、何となく流し読みで何処での話かは記憶に残っていない。まあ・・珍しい現象ではある。

 7日、帰宅してまだ明るいので例によって畑を散策。かみさんが収穫した後だが、まだ2本ほど手頃なキュウリが残っている。とりあえず、葉をかき分けて残っていた2本をプッチンと収穫。・・ん・・そのうちの一本に小さな葉が付着・・不思議に思ってキュウリの先を持って目の前にかざしてみると、何と、新聞で見たと同じ「葉の付いたキュウリ」だった。不思議なキュウリ・・あるもんだっちゃねぇぇぇ・・。一方のキュウリを丸かじりしながら、何かの突然変異・・同じDNAを持ったキュウリ・・と、推測が続く。

 とにかく、百姓を受け継いでから、初めての最大の我が家の珍事。家中で大騒ぎをしながら、我も見栄を張って新聞に載せてみた。・・どうですか、いい写真でしょう・・。チョット意味が違うぅぅぅ・・・かぁ。


 H22.6.24更新  NO502            グリーン・デスプレイ

 昭和40年代後期、米・インテル社がマイクロ・コンピューターの集積回路チップを発売した。そのチップの利用により、世の中のコンピュータは飛躍的に小型化が進み、一般大衆向けのマイ・コンピューターなるものも多くのメーカーから売り出された。8Bit処理のマイクロ・チップではあるが、機械語ソフトやベーシックソフトが比較的優しく組めて、実用的ではなかったがコンピューターを操作する楽しさを味わった人も少なくないだろう。

 そんな良き時代のコンピューター用デスプレイが、我がガラクタ置き場で唐突に見つかった。・・れぁぁ・・なづがすぅぅぅ・・グリーン・デスプレイだっちゃゃ・・。当時は、アルファベットとカタカナしか表示できなかった。従って、回路的にはテレビションとほぼ一緒。殆どICチップは使われていなく、普通の抵抗・コンデンサー・コイル類とトランジスターしか使われていない。・・・うぅぅん・・ これは、あれに使えそうだ・・。と、ある思いに光が射し、ドライバーとニッパーを握り解体作業を始める。

 我が家の、広い畑?の一角の小さな菜園。近頃、イチゴに何かがちょっかいを出している模様。しばらくすると、トウモロコシも実を付けるだろう・・。メロンに西瓜・・何かの好きそうなものが実を付ける。それらにちょっかいを出されたら、楽しい収穫が危ぶまれる。最近は、昼間でも涼しい顔をして道を横切り・・家の裏を通り過ぎていく奴らを追い払わなくてはならない。それの格好の材料になるかも知れないと、取り外した基板とにらめっこ。

 余分な線を外し、プリントパターンを切り電源端子を探る・・。通電テストはやっかいだ。ん千ボルトも出るアノード端子、かなり注意を払わなければならない。・・・基板の収納・防水はどうする・・電源のバッテリーはどうする・・何時間、もづべぇぇが?。等々難題がいっぱい。改造・実用化が出来る頃には、収穫期が過ぎているかも知れない。・・トランスを巻き換えて、簡単なインバーターを作った方が早いかも・・いや、市販の電撃器の方が早いかもねぇぇ・・。はたして、使えるものになるだろうか。

 尚、特別な許可がなければ動物の捕獲、殺傷、虐待等は禁止されいるようだ。あくまでも、動物を寄せ付けない、追い払う事を前提としなければならない。・・・だどっしゃ!!。


 H22.6.11更新  NO501             深 夜

 昨日、社の飲み会で盛り上がっていると、吉家さんから突然の電話が入る。・・なんでも、近所であった火災のことを機関紙にでも載せようと思ったようで「深夜」とは何時頃とのお尋ねだった。2件目のはしご・・、心地よく賑やかな中でメモリ、よくぞ、その事を思いだしたものだ。翌日、早速調べてみる。

 ネットの百科事典では、「深夜」とは、夜深くの時間帯。夜更け・よふけ、深更・しんこう、夜中・よなか、とほぼ同じか真夜中(0時)を意味することもあるようだ。天気予報では「深夜」は使わず、24時までは「夜遅く」、0時から3時までは翌日の「未明」、3時からは「明け方」と呼ぶそうだ。・・何だかあいまいである。

 更に、労働基準法での「深夜」は、午後10時から午前5時までで、労働の深夜作業としているそうだ。また、各地方公共団体・青少年育成条例では、深夜外出禁止の規定において「深夜」を午後11時から午前4時としているとのこと。・・ますます、ややっこしいちゃねぇぇぇ。

 要するに、関係する事ごとにより解釈はまちまちと言うことです。本来の吉家さんの「深夜」を使う目的に戻ってみると、機関紙に表現を載せたいようなので報道機関での取り決めを調べるのがベストのようでした。・・と言うことで、某報道ニュース配信社の取り決めを調べてみました。

 「未明」とは、午前0時から夜が明けきらない時刻。(夏場は、午前3時〜午前4時。冬場は、午前5時ころまで。)「早朝」とは、午前5時頃から7時ごろまで。「朝」とは、午前7時ごろから午前9時ごろまで。「夕」とは、日没の前後それぞれ1時間ぐらい。そして「深夜」とは、午後11時ごろから午前0時までとされている。約1時間の範囲でしかない。一般的感覚では、午前1時や2時は深夜と考えられているが、「未明」と区別するために午前0時としているとのこと。

 報道に載る場合には「深夜、11時半ごろ・・」等と時間も記する場合が多いようです。「深夜11時20分ごろ・・生足のお嬢様が、つまづいて・・・・!!。」等と書くよう・・。ちなみに、この日の帰りは「深夜」ではなく、二件目で諦めて「深夜」少し前に「私設・運転代行」で心地よく帰りました。・・・新聞等の報道表現に気を付けて楽しんで下さい。役゛にたったべぇぇぇぇ・・。


 H22.5.6更新  NO500             雫菜(アイスプラント)

 9年ぶりに味わう5月の大型連休。初日は、残雪の須川岳山行で春山を満喫。翌日は(稲)苗の生育が遅いので、野菜の苗を調達して畑に移植することになった。店が開く時間を待って早速、某ホームセンターへ直行。連休に入り気温が高くなったせいか、何十種類もの苗が所狭しと並んでいた。どれどれ・・茄子、キュウリ、トマト、ピーマン・・・と次々と籠に入れる。「何だか苗屋の仲買さんみたいだっちゃなぁぁ・・」と良いながら一杯になった籠の中を覗く。

 一通り欲しい苗が揃ったところで、Wさんが道の駅で買ったと言う「雫菜」の苗もあるかも知れないと探しにかかる。昨年、某番組で、栃木の少年の育てた今話題の「アイスプラント」のことである。だいたいの姿は頭に入っているので商品表示は見なくても探せるだろう・・が・・、一関では絶対ないだろうと半信半疑で探してみる。

 かみさんは、遙か彼方で家にある同じ様なお花を物色中。なぬすんだが・・いっぺぇぇあっぺちゃぁぁ・・とブツブツ言ってたら、まさかの発見!!。「アイスプラント」が3株だけ残っていた。おぉぉぉ・・あった!!。世の中がひっくり返る思いで、元気そうな2株を籠の中に入れる。まだ、透明な水滴のようなツブツブは付いていないが、正しく「雫菜」だ。早く、しょっぱい、その味を試してみたいものだ。

 後に育て方をHPで調べると、何でも吸収する植物らしく重金属も吸い上げるという。畑のダイオキシンやカドニュウムなんて、えり好みしないらしい。栽培は、全く汚染されていない土壌でなければならないとのこと。・・よかったぁぁ・・我が家では、とりあえず、お花のプランターに植えてみた。多分?重金属類は混じっていないだろう・・。収穫は約一ヶ月後か・・葉をつみ取る一週間ほど前に、海水濃度位の塩水を数回かけると良い味が出るらしい。

 一種のサプリメント野菜。もう少し勉強して、収穫量を増やしてみたいものだ。でも、塩水をかけないと塩味が効かないなんて・・チョットめんぅどくせぇぇちゃねぇぇぇ・・。塩漬けした漬け物の方が簡単で安全かも・・。


 H22.4.22更新  NO499            携帯カメラ

 4月の2週目、社用で弘前に向かう。9月以来、久々に東北道を北上だ。沿道の風景は新芽こそ目に入らないが、いっそう春めいている。残念ながら、岩手山や岩木山に八甲田山の上部は雲に覆われて恥ずかしそうだ。それでも、懐かしい風景に感動しながら仕事のことを忘れて目玉をクルクル・・。

 夜は町に繰り出し、居酒屋さんへと足を進める。誰かが面白い顔をすると、定番の携帯電話のカメラでパチリ・パチリ。我も、つられてパチリ。画を確認してにんまり・・保存して、次を撮ろうとするとモニター画面に黒い帯がサラサラと数十本も走る。ん・・くらすぎんのがなぁぁ・・と気にもとめないで数枚を撮影すると宴会はお開き。更に続く4次会は遠慮して、ホテルに直行・・キュゥ!パタン!。

 翌朝、まばゆいばかりの朝日が近くに聳える岩木山を照らす。すげー・・クッキリと真っ白い岩木のお山が、ドッカリと腰を下ろす姿に大感動。部屋から出て角度を変えると、八甲田山も全貌を表し雄大に広がっているではないか。双方のクッキリした姿を見るのは、ん十年ぶりであった。早速、携帯カメラに収めれば良かったが、小さなビル群の凹凸が微妙に邪魔になり断念。帰りに通る跨線橋付近に良いポイントが続き、期待が膨らむ。

 誰かさん達のおかげで、出発が遅くなった。
はゃぐだぁぁ・・霞がかからないうちに・・と気が焦る。立ち寄った社を出たのが、10時過ぎ。やっと例の撮影ポイント。携帯カメラを構えて撮影モード。ん!?・モニターに画が出ない。何だぁと、携帯をバカバカ叩いてみると何とか車内の画が出る。しかし、サラサラと黒い帯が流れたり、真っ白になったり・・。んんんん・・なぬしたぁぁ・・ぼっこわれだべがぁぁ・・と、バカバカ叩くと、何とか薄暗いところは映るようになったが、保存動作が効かないではないか。・・周りを見渡せば、もう大鰐・弘前インターだ。

 最高の景色だったのに、絶景を撮れずに残念・無念。携帯電話も換え時かなぁぁ・・。息子もかみさんも先日換えたばかり。ポイントも使い果たし、我だけ自腹かぁぁ・・。ガッカリ!!。まぁ、電話とメール機能は生きているので、交換はあぎらめでもいいかぁぁ・・。それにしても、エコポイントで手に入れたカメラを持っていけば良かったなぁぁぁ。


 H22.4.15更新  NO498            アカヤシオ?

 日曜日は仕事に出て、遅くなったが歓送迎会の会場へ足を向ける。前日の種蒔きから胃の調子が少し悪く、アルコール抜きで宴会に参加。とりあえず小腹を満たしていると、30分も経っただろうか・・お開きの挨拶。料理を残し、後ろ髪を引かれる思いで二次会をパスして自宅に戻る。

 人感センサーのライトに照らされた庭先に、何かピンク色にうっすらと輝く物を発見する。もしかすると・・近づいてみると、3輪あった蕾の一つが開いていたのだった。そうです・・あのアカヤシオが咲いていたのです。感激ですねぇぇぇ・・栃木の花が岩手で咲いたのですから。岩手、いや、北東北には生育していない花木、もしかすると、岩手では初めての出来事かも知れない・・。鹿沼の花木センターで買ってきた植木とは言え、すごい出来事かも知れない。

 残りの2輪も間もなく咲くだろう・・と思っていたが、その後の低気温の影響で楽しみが少し伸びている。まあ、ほんでもよぐさいだぁぁ・・と喜んで会社に通っていた。が、水曜の帰り道、日本電気の寮近く・T字路左側に、ピンクの花を大量に付けた木を発見。ありゃぁぁ、何だあれは・・信号が青に変わり確認できずに直進。・・ん・・もしかすると、アカヤシオでねえがぁぁ・・。

 翌日の帰り、某所をゆっくり通過・・。すごい、背丈ほどの木が2本も植えてあり、全てに目いっぱいピンクの花が付いているではないか。・・やられだぁぁ・・間違いなくヤシオの木のようだ。それも我が家のヤシオに比べたら、どでかい大きさで、買ったら、ん十万円はすだろう。・・まさか・一関にあるなんて思っての見なかった。負けましたねぇぇ・・。上には上があるものだ。

 一関に戻って約7ヶ月で良く解らないが、最近出来たパーマ屋さんらしきお宅。何処で手に入れたのか、聞いでみっぺぇぇ・・。それにしても、センスのいい人・無い物集めの得意な人・植木の専門家・・何で、あの花木があんだべねぇぇぇ・・。那須の沖さん宅でも咲いたと便りが入り、一関のよそのヤシオでも、嬉しいですねぇぇ・・ちゃんと木の名前を、確認してこょうぅぅと。


 H22.4.8更新  NO497            お花見

 まだ寒暖の差は大きいが、何とか厳冬期を乗り越え、9年ぶりの忙しい季節がやって来る。休日ごとに何とかの総会に始まり、やがて水路の定期清掃や道路清掃・・山なんか行ってる時間は無い。困ったものだが、今まで楽してきたのだから、我慢して尽くさねばなんねぇべちゃねぇぇ・・。

 そんな快適な?汗をかいて帰った先日、我が家の各種記念樹を見ると花芽が膨らんでいるのを発見する。5年ほど前に植えた「じだれざくら」に4年前の「そめいよしの」。更に3年ほど前に植えた栃木の県花「アカヤシオ」にも初めて花芽が付いていたのだ。さくらは数輪の花が咲いていたが、今年は両方共にイッチョ前の花芽が出そろっている様子。今年は、かなり期待できそうである。

 桜は・・屋敷に植えてはいけない・・などと迷信があるようだが、屋敷とは何処までを言うのか・・。我が家では、母屋に近いが、あくまでも畑の一角に植えたので・・それには当たらないと思うのだがぁぁ・・三種類とも何とか根付いて三者揃い踏み・・。近い開花に、待ち遠しい日々が続く。

 それにしても、福島沿岸近くの南部山間部から群馬や奥秩父方面に自生しているアカヤシオは、我が地では咲かない・育たないものと思っていた。上手く根付いたら、それで良しと思って買ってきた苗木であった。試してみるものですねぇぇ・・石灰岩質の岩場に多いため、根本に石灰を時々蒔いている。アルカリ土壌に上手く変化しているのか・・まだ咲いたわけではないが、花芽らしき膨らみの先が確かにピンク色をしている。3輪しかないが、確実に咲くだろう・・。

 開花まであと十日ほどかなぁ・・咲いたら画像をアップします。そしたらみなさん、お花見にきてみでけらぇん。飲み物・寝袋持参、大歓迎します!!。


 H22.3.25更新  NO496            エコポイント交換

 3月に入ると、エコポイントの引き替え期限が迫っていることを聞く。わしぇでだぁぁ・・江釣子・パルから商品券交換の案内があった・・。月末までに行ってこねぇばぁぁ・・と、届いている引換券を探す。

 それにしても、その書類が届くまで大変だった。ネット申請は、必要事項を記入して書類をダウンロード。その書類と領収書類を添付して郵送する。(希望の景品が有れば一緒に申請できる)。数ヶ月後、メールでパスワードなどを貰ってエコポイント交換の権利をいただく。それから交換する品物を選ぶが、その商品はまた、種類が多くて大変だ。結局、手数料を引かれないパルの商品券となった。・・もう・・遅いinsの通信費や切手代等23000円分貰うのに3000円ぐらいかかっていたようだ。決して、エコとは言えない手続きとなる。

 先々週「うるせえやつら」を引き連れて娘がやってきた。昼食を取りながらカクカク・シカジカ・・。よし!江釣子に遊びに行こう!!と言うことになった。引換券を鷲掴みにして、一路北上に走る。これが、娘の車にETCだからたまらなくエコだ!?。

 約40分後、早速パルのサービスカウンターへ。500円券で46枚、分厚い札束のようである。有効期限は5年間。と、ここまでは良かったのだが、また来れば交通費がかさむ。「使ってしまった方が良い・・」と娘の言葉に唆され汗をかきながら店内を物色する。しかし、ネットで確認していた通り希望の商品を扱っている店がない。・・ん・もうう・・何を買ったら良いんだべぇぇ・・と、店内をリング・ワィンデング。

 美味しい豪華な食事でも・・と言っても昼食後のこと。「うるせぇぇやつら」は、飽きた様子、ゲームコーナーも狙っている。とりあえず、抹茶ソフトを商品券と交換。しばらく休憩後、三度カメラ屋さんの前。すかだねぇぇ・・ここで使うべがぁぁとなった。

 「今日はセールス中・・安くしますよぉぉ・・」の言葉に軽く乗せられて1200万画素のデジカメとなった。これがまた、今流行の顔追従で手ブレ補正機能も入っている。マクロ撮影もお手のものらしい。山歩きには少し荷物になるが、以外に良い物をゲットしたような良い気分。・・・しかし、得した気分は我だけ・・結局、孫や娘に余計な出費。おまけにガソリン補給・・エコポイント利用は、何回も言うように、決してふところにエコでは無かったねぇぇ・・。


 H22.3.18更新  NO495            分化生活

 久々に岩手の厳冬を体験する。日に日に寒くなる夜、いろんな防衛策を思いだしては実行を試みる。各所の凍結防止のヒータを入れ、節電用の器具もセット。階段の上に温風が逃げないようサーキュレーターまがいの器具もセット。おまけにファンヒーターの熱が天井にこもらないよう小さな扇風機で暖まった空気を巡回させる。電気の使いすぎかぁぁ・・と思いつつ、万全の構えで厳冬に対して身構える。

 農閑期になる冬場は、いろんな集まりも増えて、かみさんは、やれ「チーズケーキ作り・・」はてまた「ピザ作り・・」と気違いになったようにお茶菓子づくりに励んで集会所や孫宅に宅配。我の口に入るのは、それらの片割れの極一部。本人は、るんるん気分の鼻歌混じりで電気使い放題。・・んもぉぉ・・のんびりネットやテレビでも楽しむか・・とスイッチを入れると、突然バッチン!!と電気が切れるのであった。

 我が上司は根っからの電気屋さん。契約電力を最小限に収め、たとえ借家を借りたとしても、契約アンペア数を20A位に変えさせて節約するという徹底ぶり。・・なるほど、大電力の電化製品は同時に使えばブレーカーは切れるが、一台一台時間をづらして使えば何とかなる。分散化消費、いわいる分化生活は20Aも有れば十分である。と言うことで、我も実行し続けてきた。年間約3600円の経費節減が続いた。

 しかし、あっちこっちの造作により凍結防止ヒーターや最新式?のトイレにプラズマテレビ等々がいつの間にか増えている。20Aブレーカーは悲鳴を上げて跳ぶ回数が激増だ。電子レンジでパッチン!。ドライヤーでパッチン!。あげくの果てに、ウオシュレット起動でパッチン!。かみさんもチーズケーキがこじゃくせで、どこかが切れてパッチン!!。

 すがだねぇぇ・・年貢の納め時か・・と、十数年ぶりに電力さんにお願いすることになった。ちょっと出かけたついでに「30Aにしてください・・」とお願いすると、苦笑するよう・・に素早く対応してくれた。かくして、契約変更。イッチョ前・人並みに・・30Aの文化生活が始まったのである。

 でもねぇぇ・・、庭(ここだけ井戸水を使用)の自家水道が出なくなって裏にまわってみたら、水道ポンプが空回りしていました。呼び水をして、回したら水道を止めても間欠運転していました。原因は、不凍栓からの水漏れ。ぎっちり閉めたらポンプは止まりました。・・・と言うことは、水道ポンプが長い間、間欠運転のために7A位の電流が間欠的に流れていたと言うこと。使えたのは各種のヒーター分を除いた残りの8A位。

 近頃、やけにブレーカーの跳ぶ回数が増えたと思ったら、そのせいだったようだ。ブレーカーも切れて当然だ。・・・失敗したナァァァ・・まだ、20A契約でよかったのにぃ・・。頃合いを見て、分化生活に戻らなくちゃねぇぇぇ・・。


 H22.3.11更新  NO494           続・遠ぉぉい話し

 先週、所用で東京町へ向かう。朝、氷点下2度ぐらいで結構寒いが、少しやせ我慢をして薄着で新幹線に乗り込む。下り坂の天候で、途中の吾妻連峰も安達太良山も上部はガスに覆われて良く見えない。那須も同様、少しガッカリしながら核心部の風景を待つ。

 右手前方に羽黒山が見え出すと、まもなく鬼怒川の鉄橋を渡る。かつての我が庭の様な風景が現れる。これだ、目を凝らして左右をキョロキョロ・・独特の春霞の中に、微かに懐かしの山並みや特徴ある建物が流れていく。・・やっぱり、こっちはえぇなぁぁぁ・・と、見えない小道なども頭に浮かんでくる。

 先日のY社のHPでは、セツブンソウが咲いたと載っていた。あれは3月初めに咲き出したはず・・と、思い出していると満開の梅林が目に飛び込んできた。もう・・こちらには確実に春がやってきている・・。いいなぁぁぁ・・今頃は、春を感じながら低山歩きをしていたはず・・また戻りたい心境が募る。

 岩手南部では、紅梅の仲間や福寿草が咲き出したとの便りは聞かされるものの、季節は20日から30日ほど遅い。早く満開の桜も見たいものだ。我が地では再び雪が積もり、春はまだ遠い先のようだが、今では遠いぃぃ第3の故郷を思い、未練たらたら春を待っている我であった。

 ・・そういえば、荒川を渡ると建設中の「スカイツリー」が見えだのっしょ。もう、300mは越すたんだどっしゃぁ!。あと、その倍以上高゛ぐなるというがら、どっからでも見えっぺちゃねえぇぇぇ・・。でぎだら登ってみでぇちゃねぇぇぇ・・。ん!?、何しに東京へ?・・遠くて尻が痛くなったけど、チャント、やる事はやって来ましたよ。


 H22.2.25更新  NO493           遠い話し

 骨身にしみる寒さにも少々慣れてきた2月、相変わらず飲む機会は減らなかった。やれ・・入学祝いだ、お誕生会だ・・おまけに、帰れば「いい○こ」のお湯割り、それが無くなると「山崎」のお湯割り。テレビのガシャ・ガチャを見ていると当然、眠気が差してきどころ寝。つぶやき更新のネタも出てこない状況続きで、更に邊さんの送別会に叔母さんちの13回忌の法事と続いた。

 向こうでは、ひもじく・慎ましく、誰の指図も受けることなく自由気ままに余裕の毎日。周囲に身近な関係が多くなると、さすがに忙しいものですねぇぇぇ・・。嫌いなもの?も、つい口に入ってしまう。なかなか・・足慣らしも出来ない状況が続くようだっちゃぁぁ・・。

 ん万円かけて切って貰った雑木も片付けなればならない・・等と気を揉んでいると、一通の招待状が届いた。なぬ・なぬ・・と、封を切ってみると今度は喜寿と米寿のお祝い会なんだと。なんでも、かみさんの母親のお姉さまと、何だか良く解らない遠ぉぉぉぉぉい・・叔父さまのお祝い会のようだ。・・何で俺さままでが、出なければならないのか・・良く解らないままに、何かの弾みに出席しまぁぁぁすぅぅ・・と言うことになったようだ。

 栃木にいれば・・こんな事にはならなかったのに・・と、遠ぉぉぉい第3の故郷を思い出しているこの頃です。んでも、77歳と88歳のおめでたいお祝い会、二度も三度もある話ではない。我が行っても何処の誰かは解らないと思うが、飲んで食って多いに祝ってこようではないか。・・・あぁぁ・・2月末日も、嫌いな宴会で終わりそうだぁぁぁ・・。おっと、その前に同級会の打ち合わせ食事会がある。・・中性脂肪が溜まりっぱなし、また血を抜かなくちゃぁぁぁ・・ね、吉家さん。


 H22.1.21更新  NO492           アルバム

 お正月が来たーと思っていたら、もう20日も過ぎてしまいましたね。小生、同級会に歳祝い、おまけに祝年会が二つと忙しい日が続きました。胃腸はとりあえず何とかなっていますが、地球の重力に2kg位余計に引っ張られています。困ったもんだぁぁぁ・・。今月は、あと一回、残ってまぁぁぁす。

 そんな忙しい?ある日、貯まってしまった写真を発見。殆どはデジカメで取ってあるが、社の行事や友人からの山での写真が貯まりにたまって約10年分。これは腰を据えて整理しなくちゃぁぁ・・と、急遽アルバムを二冊ほど調達する。

 初めは年代順に貼り付けていたが、あっちの机に、こっちの本棚・・等々、数枚づつ飛び出してくる。・・いいやぁ、あとで眺めるときの息抜きに・・と、突然変な写真が間に割り込む。・・優柔不断・・我が性格がモロに出ていて、かみさんが文句。結局、アルバムが足りなくなり、翌日更に増ページ約一冊分と1冊を追加。更に似た構図の写真はフォトショップのサービス写真帳に振り分け、四苦八苦しながら何とか貼り付けを終了にする。

 目をショボショボしながら、改めてアルバムをめくってみる。黒い台紙の中にクッキリと、昔なつかし風景や顔が並ぶ。・・えぇぇぇ・・なかなかえぇぇちゃぁぁぁぁ・・。豪華と言うか・・観光パンフレットを改めて見返ししている様で思い出が交錯する。パソコンで絵一つ一つを見るのと違い、一度に3〜5枚が組み写真のように見渡せる。でかい絵をポツンと一枚だけ眺めるのとは違い、華やかで雲泥の差がある。アルバムと言う昔ながらの写真集、なかなか古風で味わい深いものがある事に気が付いた。

 写真は、メモリーチップやCD・ROMに貯め込んでいる・・なんて安心していては駄目。いざ見るときに、早ごとが効かない。みんなでワイワイ騒ぎながら見るには、アルバムが最適だょっ!。気に入った物だけでも、ちゃんとプリントして残しておけば、祭壇の写真も家族が簡単に選べられる。みなさぁぁ・・ん、アルバムをチャント作っておこう・・。


 H22.1.7 更新  NO491           厄年・還暦

 みなさん、新年あけましておめでとうございます。本年も、宜しくお願いします。小生、アラウンド還暦・・アラ還・・などと言っていたら、いつの間にかそれらしき歳になっているようです。しかし、そのことの神社の見解が分かれ良く解らないのです。

 近くにあった佐野厄除大師さんだと、昭和25年生まれが数え61歳の還暦であり本厄年と決めてある様です。しかし、当地の八幡さまや温泉神社さんでは昭和24年生まれの方がそれに当たると言うことのようです。どちらも信じて良い様ですが、前厄に本厄、後厄などと分けているようなので、前後3年から4年間は厄年に当たると覚えておけば良いのでしょうかね。

 そもそも厄年というのは、それに当たる歳に病気や怪我などのリスクが高くなるとの事のようだ。かこつけた祝賀会や飲み会が増えるので、体調もおかしくなる。厄年だから、気をつけなさいよと言うことかも知れない。いずれにしても、小生れっきとした虎年生まれで5回目の虎年だ。本厄年かは良く解らないが、還暦の歳祝いは間もなく迎えるようだ。

 還暦は新しい人生・こどもに帰り新しい人生を歩む出発点で、お祝いの歳でもあるようだ。・・・なぁごど言われても、会社は定年で退職の時期だぁぁべぇぇぇ・・(汗)。厄年でもあり、お祝いの歳?でもあり、結局+−”0”となるのか・・赤い手ぬぐい、赤いちゃんちゃんこを着ることなく、ふだんと変わらすに、少々の注意を払い万事過ごすのが一番かも知れない。

 先日の”日本古来の神道はどうのこうの”との某放送番組では、仏滅・大安・赤口・・・等は古代の人が結構いい加減に作ったらしい。厄年等々・・信じて良いものか、信じべかざるものか・・それは、我を含めたあなたがたにかかっている。・・・一応、拝んで貰ったのなら、素直にお受けした方が良いのでしょうねぇぇ・・。次の日曜日まで3回の関連の飲み会?がある。摂生して、浴びないとねぇぇぇ・・。ちなみに、八幡様や温泉神社さんのおかげで、来年もこの様な悩みが出てきそうだ。


 H21.12.1 更新  NO490           不毛地帯

 月初めの木曜日、何気なくフジテレビ系を見ると、昭和初期を思わせるドラマが映っていた。その商事会社の内部らしきシーンに、何処かで見たことのあるタイプライターのような物が映っていた。・・・あれは、昔の電信機ではないかなぁぁ・・と思いながら、ドラマを良く見ずに茶の間を離れた。

 しばらくして茶の間に戻ると、そのドラマのエンデング・テロップが流れていた。テロップの終わる頃、・・・美術協力・・数十社の中に、丸にS が4つの見覚えのあるマーク。れぇぇぇ・・目を凝らして社名を見ると、花巻市にある、我が十数年間お世話になった会社名だった。当時、日本トップ・シェアーの印刷電信機専門メーカーの社名が流れていたのであった。ドラマのタイトルを聞くと「不毛地帯」とのことだった。

 我が入社したのは、相手選択用のダイヤル付き電信機・テレックスが最盛期の頃。その後、テレプリンター(印刷電信機)から専用回線を使い漢字も利用できるデーター通信に変わり、データープリンターなどと言い方を替える。電気的なリレー(電磁式接触器)から電子式のトランジスターやIC回路に変化して、ワクワク・ドキドキの楽しい仕事だった。やがて、マイクロコンピュータ制御も始まり、それから益々仕事が楽しくなるはずだったが、家事都合により断腸の思いで会社をあとにした。

 嬉しいねぇぇ・・その会社名が公共の電波に乗るなんて・・。毎週、エンデングだけは見るようにしている。みんなも、みでけらぇん・・。カクカク・シカジカ・・紆余屈折も有ったようだが、今も場所を移して頑張っているようだ。そんな懐かしい当時の仲間達との忘年会が、今年もやってくる。話題が増えて、今年も盛り上がりそうだねぇぇぇ・・。 それにしてもながぁぁぁぁい月日、あれから数十年。我の頭も、不毛地帯が多くなってきたっちゃねぇぇぇ・・。