2000年3月


 3月上旬、仕事で沖縄に飛ぶ。出発の朝、外は氷点下3.5度であったが、沖縄の予想気温は18度と丁度良いと思い春物のスーツで出かける。
 空港に着き、一歩飛び出すと北国の18度とは違って湿度が高く暑い。数分も経つと、体中が汗ばんでくる。こんな事なら夏物のスーツにするんだったと後悔する。

仕事の終了後に、観光タクシーで約6時間(小型18000円)の沖縄南部コースを回る。主な観光先を紹介しよう。


 首里城公園 

 那覇市中心部から国際通りを抜け、西方の小高い丘に着く。平日でもかなりの観光客で賑わう守礼門の所で車を降りる。門の入り口付近では、発掘調査が行われており中国様式の守礼門を撮影するのに手間取るが、なかなか沖縄らしく見映えの良い門だ。
 首里城は沖縄独特の石灰岩を加工した石垣で囲まれ、内地にある城には一歩もひけを取らない重厚な城に見える。近辺ではFMラジオ(79.0MHZ)が流れ、13ヶ所で案内が聞ける。歓会門、瑞刻門、広福門をくぐると首里城正殿前の奉神門に出る。ここから四角く囲まれた正殿側に入るが、当時の衣装を身に付けたたガイドさん達が歓迎してくれる。この門をくぐると、まるで中国に入ったような異国情緒あふれる首里城正殿が目いっぱいに飛び込んでくる。素晴らしい建物である。
 沖縄は元々中国領であったが、江戸時代の1609年島津が侵入してこの国を滅ぼした。正殿はそれから三回ほど焼失・再建を繰り返し、今の真新しい建物になった。南殿、正殿、北殿の順路で回ると首里城全体像が分かるように案内されている。約40分から1時間の周回コースであった。入館料、大人800円

 新原ビーチ
  ヤビクガラスボート 

 新原(にいはら)ビーチ入口で乗船券(いくらか忘れた)を購入し、砂浜を100mほど行くと船着き場があり黒砂糖とお茶を振るまってくれる。程なく馬力の大きい船外機を2台もつけた高速ボートがやってきて乗船する。15名ほどが一度に眺められるように、船底に箱メガネふうのガラス窓が付き、海底をのぞける。
 まずは、クルーザーに乗ったような快感を味わい、最初のポイントに着く。密集した珊瑚の間には、南国らしい熱帯魚が無数に泳ぐのが見え、色鮮やかな魚の群に一同感激する。オッサン3人が来る所ではなく、なんだか若いカッブルに申し訳ないような気がした。つぎのポイントでは、でかい魚の群を観賞する。うまそうな魚が次々と現れ、今晩の酒の肴にしたい気がした。なまつばを押さえしばし観戦する。乗船は、約20分間。待ち時間を入れると最低30分は必要かもしれない。

 玉泉洞王国村 

 ここは東洋一と言われる鍾乳洞を中心に、熱帯植物園、琉球ガラス・陶器工房、工芸村、伝統芸能広場、ハブ酒造所、ハブ博物館などがある、楽園となっている。入場料が大人1200円と少々高いが、東洋一の鍾乳洞はかなりの見ごたえがある。全長が890mもあり、昇龍の鐘、東洋一洞、槍天井、玉泉峠、黄金の盃、等々奇妙な鍾乳石が何万と連なっている。少し違うのは内地の鍾乳洞だと、内部はヒンヤリしているものだがここは、かなり蒸し暑いことだ。薄着で見学したいものだ。
 植物園は、見た事のない種類のトロピカルフルーツの木が林立し、よだれが出そうな果実が沢山なっている。工芸村や各工房ではそれぞれに制作の体験が出来、時間が有れば挑戦したいものだ。とにかく園内はかなり広く、沖縄のすべてが体験出来そうだ。ハブ博物館では決められた時間にハブとマングースの対決ショーが行われている様だが、これだけは見たくなかった。場内には、レストランもあり、ここで昼食を取ると最低2時間は必要だ。
 

 平和祈念公園 

 沖縄は第二次世界大戦において、唯一住民を巻き込んだ戦場だった。多くの人命とかけがいのない文化遺産を失った。その教訓を正しく継承していくために、国籍を問わず戦没者約20万人の名前を刻んだ平和の礎が広大な扇状に作られている。入り口でおばあさんから花束を買い広い敷地の中の岩手県を探し、お供えし冥福を祈る。名前の刻まれた数々の石碑は、コバルトブルーの沖縄の明るい海に向かい、永久な平和を願っている様に見えた。時々近くの基地からヘリが飛んで来て、どこかむなしいものも感じさせる。園の上空には入らないでほしいものだ
 園の外れには、中国の山の奥にある大きな寺院を思わせる平和祈念資料館が新しく建設されていた。一般公開は、4月1日から。以前の平和祈念博物館前には、くちはてた魚雷が二基置かれ戦争の爪痕をううがわせている。 

 ひめゆりの塔 

 沖縄県女子師範学校と沖縄県立第一高等女学校は、特志看護隊を結成し軍と行動を共にしたが米軍の侵攻に耐えきれず悲惨な最期を遂げた話は、あまりにも有名である。両校には校友会誌があって、一校女は「乙姫」、師範には「白百合」となずけられていた。両方の姫と百合を合わせて「ひめゆり」としたそうだ。
 第三外科壕の洞窟の入り口に沖縄戦の象徴として”ひめゆりの塔”が作られた。この塔の後ろには平和祈念資料館が建てられ、数々の遺品や会誌が展示されて涙を誘う。時間によっては、同窓生の方が案内してくれる。入場料大人300円、40分から50分は時間をとりたい。

 海軍司令部壕 

 昭和19年に海軍設営隊により掘られた防空壕で、当時は延べ450mもあり4000人の兵士が収容されていた。米軍の猛攻撃を受け昭和20年6月13日夜半、沖縄海軍主力部隊が玉砕し、本土決戦が本格化した。いわば、日本の最後の砦だった。昭和45年に復元された壕は、以外に狭く兵士達は立ったままで寝泊まりしたらしい。幕僚室には、今でも自決に使用した手流弾の破片痕がくっきりと残り戦争の悲惨さを訴えていた。参観大人420円約30分かかる。 


 常夏の沖縄、季候も良く食べ物も良い。コバルトブルーの海にたわむれ、トロピカルフルーツを片手に女の子をくどく・・・。等とばかり言っていられない。日本中で一番ひどいめにあったのは、この地沖縄である。”忘れられない、20世紀の爪あとは、沖縄に集中している”とせつに感じる旅だった。  尚、琉球料理、特産品などは「沖縄タイムス」さんのホームページをご覧下さい。