岩手の偉人


●宮沢 賢治●

宮沢賢治は、作家、詩人、教育者、科学者、音楽家、画家、農民・・・と多彩な顔を持つ、T万能人Uです。しかし、根底にあるものは常に一貫していました。
  「アラユルコトヲ/ジブンヲカンジョウニ入レズニ/ヨクミキキシワカリ/
    ソシテワスレズ………」(『雨ニモマケズ』より)
 賢治が豊富な知識を身につけたのは、自分はさておき、人とその心を豊かにするという理由からです。太陽の黒点を観測し、気象を予測しました。そして農作物に与える影響を考えました。また、農学校の生徒たちを北上川へ連れていき、川底の白い岩肌を「イギリス海岸」と呼ばせたのは、ちっぽけな花巻にいながらにして、広大な世界を見聞させるためだったに違いありません。
 わずか37年。凝縮された生涯を送った賢治。そして死後、人々はグスコー・ブドリやジョバンニ、ゴーシュといった賢治の創造した主人公たちに触れる度、彼自身の姿を思い浮かべるのでした。


●宮沢賢治記念館
原稿や愛用のセロなどの展示、作品のスライド上映の他、賢治が行ったさまざまな研究も、体験できるところです。



●セロ弾きのゴーシュと動物たち
新花巻駅の広場にあるレリーフ。前に立つとセンサーが感知して、セロが演奏されます。



●羅須地人協会
賢治が農耕指導を行った住居(花巻高校に移築された)。
この看板を見ると、思わず賢治が近くにいると錯覚してしまいます。



●高村光太郎●

 光太郎が花巻に来たのは、昭和20年。戦火を逃れるため、賢治の父・政次郎を頼って疎開しました。賢治とは大正14年、東京で知り合い、親交を温めていました。しかし、すでに賢治は亡く(昭和8年永眠)、愛妻・智恵子も7年前に他界。そんな失意の中『智恵子抄』をはじめとする詩集は、創られました。


●高村記念館
光太郎の衣服や靴などの遺品はもちろん、彫刻も数多く展示されています。
また、光太郎と智恵子の位牌が静かに安置されています。


●高村山荘
花巻市郊外にある、光太郎が農耕自炊の生活を送った木造の住居。彼はこの粗末な建物で7年間を過ごし、創作活動に励みました。




●お問い合わせ●  花巻市観光課 TEL:0198-24-2111


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