東北有数の商社や完全歩合制の販社勤務を経て、プラント用制御システムメーカー岩手事業所の立ち上げ責任者を務め、取締役工場長となる。さらに自ら工場長不要の実務システムを構築し、1997年7月退社。この間数多くの地域企業の経営者と接し、併せて大企業の実態にも触れた経験を活かし、「前向き地域企業の真の応援団」を目指し、企業課題と専門家のコーディネートおよび企業資源同士の結び付けなどを「娑婆の目線」で捕らえる必要性を痛感していた。その後約半年間、北は北海道から南は九州まで当代第一線の経営者や実務型のコンサルタントの教えを受け、自身の経営哲学を煮詰めた。そして、事業として「成り立つかどうか」でなく「必要かどうか」という観点から開業を決意し、前勤務先の社長はじめ経営者ネットワークや地域の関係者のあたたかい支援を受けながら、コーディネートの語源の通り「共に事を起こす」応援団として東北地域の企業群にお返ししている。
民間企業勤務中から異業種交流へ積極的に関与し、仕事の斡旋や人材紹介なども無償で行っていた。そして、98年1月に「ザ・オフィスせき」を個人事業として開業し、主に岩手県内を中心にプロの地場立脚型コーディネーターとして活動を開始した。
以後、ガーディニング事業の立ち上げ、新規事業所建設進捗管理、縫製工場の作業改善指導、エネルギー関連会社の給与システム構築、同業者組合の情報化システム構築コーディネート、アパレル店舗の新規出店準備などの個別案件を進める傍ら、地元商店街からの要請で月例「得だね!カレンダー」のコーディネート活動にも従事した。この事業では商店街広報を時間的にも空間的にも点から面へ引き上げる手法を構築、そのノウハウを自ら仕掛けた「商店街レディース応援隊」に引き継ぎ仕掛人の任を果たした。
また、日経新聞の読み方公認講師としてのセミナーの開催や小人数の経営者勉強会を主宰するなど、ユニークな切り口で共鳴者の輪も広がった。
さらに、人的ネットワークを通じて、愛媛県の産地と宮城県の主婦のアイデアを橋渡しし介護用品試作への道付けや沖縄深層水事業からの産品の紹介、アメリカ発のオイル添加剤特許品の普及など活動は多岐に渡った。
98年度の全国コーディネート支援事業に個人として採択を得て、地域の課題抽出を実施し、99年度はその課題解決を推進すべく、岩手県のプラットフォーム事業の中核機関である「いわてテクノ財団」の新事業コーディネータとして委嘱され、2000年度も名称組織を新たにした(財)いわて産業振興センターで継続、2001年度は同センター内におかれた岩手県中小企業支援センターのプロジェクト・マネージャーとして活動した。
2002年度4月からは、盛岡市の創業支援コーディネーターを委託され、引き続き同11月に盛岡市内の開運橋センタービル内に開所した盛岡市産業支援センターのインキュベートマネージャーに就任(2013年3月退任)し、主要業務とした。加えて、2007年8月開所の盛岡市産学官連携研究センターのインキュベーションマネージャーも兼務し、2013年4月からは盛岡市産学官連携研究センターIM職に加え、盛岡市企業支援マネージャーに就任し、盛岡市の企業支援施策全体を統括する職を担った。
またこの間、従来から務めていた中小企業大学校仙台校の講師に加え、中小機構東北本部の経営支援チーフアドバイザーとして活動の幅を広げたが、平成31年3月公職を退任し、「一生懸命が報われる」をライフワークとして、管理会計実践サポート株式会社を立ち上げ代表取締役に就任、令和への改元と同時に同年5月には郡山市に拠点事務所を開設し活動を開始。翌令和2年4月1日に岩手県一関市から福島県郡山市に事業所・住居ともに全面移転し、活動継続中である。
「必要だからやる」という原点を忘れず、ビジネスの成功に不可欠な「陽徳」マインドを前向き企業に喚起すべく、自らの持ち味である「陰徳」志向で、「和して同ぜず」に接していく。そのために「虚心坦懐」を旨としている。
氏名 | せき よういち 関 洋一 |
生年月日 | 昭和27年10月18日 | ||
出生地 | 岩手県紫波町 | ||||
元 居住地 | 岩手県一関市(令和2年3月まで) | 携帯TEL | 090-2791-0005 | ||
sekiyan@kurikoma.or.jp | |||||
URL | www.kurikoma.or.jp/~sekiyan/index.html | 郡山本社住所 (連絡先) |
郵便番号963-8877 福島県郡山市堂前町16-7 3F |
管理会計実践サポート e-mail | boss@kjs-seki.com |
管理会計実践サポート URL | https://kjs-seki.com/ | ||||
管理会計実践サポート TEL | 024-954-6860 | ||||
学歴 | |||||
昭和52年3月 | 東京理科大学工学部電気工学科 卒業 在学中は、体育局ラグビー部に籍を置きスクラムハーフとして、関東理工系大学リーグにて、昭和25年の創部以来二度目のリーグ優勝を果たす。 肝心の学業成績については、特筆すべきものなし。 | ||||
職歴 | |||||
昭和52年4月 | 東北地区で屈指の商社勤務や完全歩合制の販社勤務などで武者修業 | ||||
昭和56年11月 | 日東配電機(株)(現:ニットーハイ(株))入社 東京本社営業部配属 | ||||
昭和59年6月 | 同 岩手工場操業準備及び盛岡営業所本格稼動のため、先行赴任 | ||||
昭和59年7月 | 同 盛岡営業所(現:盛岡テクノオフィス)所長及び岩手工場長代理兼務 | ||||
昭和63年4月 | 同 岩手工場常駐 工場長就任 | ||||
平成元年7月 | 同 取締役就任 | ||||
平成9年5月 | 同 取締役辞任(第47期の期末にて) | ||||
平成9年7月 | 同 退職 | ||||
平成10年1月 | “ザ・オフィスせき”開業、地域産業コーディネーター活動開始〜令和元年12月31日にて個人事業“ザ・オフィスせき”廃業 | ||||
平成31年4月 | 管理会計実践サポート 設立 | ||||
令和元年5月 | 管理会計実践サポート 郡山拠点事務所 開設 | その他の活動経歴 | |||
昭和62年度 | (社)日本青年会議所岩手ブロック三世代交流委員会会議 議長 | ||||
平成2年度 | (社)日本配電盤工業会東北支部岩手部会 代表幹事 | ||||
平成4年 | 異業種団体 両磐インダストリアルプラザ(RIP) 監事 | ||||
平成7年 | 花泉町生涯学習センター建設基本計画検討委員会 委員 | ||||
平成8,9年 | 花泉町企業連絡協議会 理事、花泉町総合振興審議会 委員 | ||||
平成9年12月 | 日本経済教育交流協会指定 NIE・E委員会公認講師 資格取得 | ||||
平成10年2月 | 米国シリコンバレー及びオレンジカウンティにて、コントラクトビジネス他視察 スタンフォード大学及びUCLAのMBA(経営管理修士)課程のアンダーソンスクールにて特別講義受講 | ||||
平成10年4月 | (財)岩手県高度技術振興協会 イーハトーブエンジェル(起業家支援者) | ||||
平成10年6月 | 一関研究開発工業団地整備等調査会 ワーキンググループ員 | ||||
平成10年8月 | 中小企業事業団とコーディネータ事業委託契約締結(全国52件採択) | ||||
平成10年8月 | 岩手県「地域活性化アドバイザー」委嘱を受諾 | ||||
平成11年7月 | いわてテクノ財団 新事業コーディネータとして活動開始 (平成11年 単年度) | ||||
平成12年4月 | 中小企業大学校仙台校 登録研修指導員 受託 (平成15年度まで) | ||||
平成12年4月 | (財)いわて産業振興センター 新事業コーディネータ 受託 (平成11年度に引き続き、平成13年3月まで) | ||||
平成12年5月 | 一関まちづくり塾 主宰(手弁当、平成13年3月まで) | ||||
平成13年4月 | (財)いわて産業振興センター内 岩手県中小企業支援センター プロジェクトマネージャー 受託 (平成14年3月まで) | ||||
平成14年4月 | 盛岡市 創業支援コーディネーター 受託 | ||||
平成14年8月 | 中小企業総合事業団 新事業開拓支援専門員 登録(平成28年度:中小機構東北本部 経営支援チーフアドバイザー、令和元年9月末退任) | ||||
平成14年11月 | 盛岡市産業支援センター 専任インキュベートマネージャー 就任(平成25年3月末退任) | ||||
平成19年9月 | 盛岡市産学官連携研究センター インキュベートマネージャーおよび岩手大学客員教授 就任(平成31年3月末退任) | ||||
平成22年6月 | “社長の教祖”といわれた故一倉定氏の「社長学」実践支援活動を本格的に開始 セキやんの「グローカル・ニュース」から「経営の腑」にメールの定期配信内容を変更 | ||||
平成25年4月 | 盛岡市 企業支援マネージャー 就任(平成31年3月末退任) | ||||
平成26年11月 | 一倉定“社長学”実践「Sフレーム」のすすめ 出版 | ||||
平成31年4月 | 管理会計実践サポート 設立 | ||||
令和元年5月 | 管理会計実践サポート 郡山拠点事務所 開設 | ||||
令和元年12月末日 | 個人事業“ザ・オフィスせき”を廃業 | ||||
令和2年1月1日〜 | 管理会計実践サポート 郡山拠点事業に専念 | ||||
令和2年4月1日 | 管理会計実践サポート竃{社登記および居住地とも 福島県郡山市に全面移転 |
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