形見とて何かのこさむ春は花 山ほととぎす秋はもみぢ葉
良寛はこの自然の世界を遺して往かれた。 我々は宗教を信じ、あるいは科学を信じ、
理性をそしてヒューマニズムを信じる。ここ、いま、からなる世界が存在することをまた確信する。
価値を信じ、世界が物が実体として有ることを確信する、このような妄念妄想から我々が
抜け出せることは一刻も出来ないようである。 一日一日の日々の暮らしに、ひと呼吸ひと呼吸
、この妄念妄想を湧き出させてくる、我々の身体、それを支える一つづきの大地、
そこに響き合う底しれぬ闇の深淵に耳を澄ませてみたいものである。
「仏書を読むとは、自らの姿を鏡に写して看ることである。」と言われた。
また、「君が煩悩を持っているというのではなく、煩悩に目鼻をつけたのが君だよ。」
と松生利直さんに言われた時ほど、救いようのない
我が身の正体を知らされ、善悪におびえることの無い、最下底の落ち着き処をいただいて、
踊躍歓喜する想いをしたことはなかった。 遺された自然の歴史の一道を歩まれた人々、
そのお心とその奥に生きつづける法の世界の呼び声は、聞こえるようでもあり聞こえぬようでもある。
「仏法の世界のことは、聴いたからわかるといったものではないが、聞かずにわかるものでもない。
」 仏法を聞きつづけた松生利直の言葉である。 |