おもらいですけど

   
 山登りを始ようと思い、2回目の山行は富士山になった。1971年7月12日この時の話である。

 花巻と東京間を往復している運転手の杉村氏から「車で富士山さいぐべ。」と声がかかり、花巻の会社の仲間6人で、出かけた。
 夜通し走り、河口湖に昼頃着いた。妙法寺の境内を借りて仮眠をとり、夜中の登山になった。しかし、夜通し運転手の相手をしてくれた女性が、スバルライン駐車場に着くと睡眠不足から軽い高山病にかかり、登山を断念した。杉村氏も、この女性に付き添うために登山を断念する。
 とりあえず、4名で素晴らしい光の帯の中を山頂まで往復できた。天気も良く、日本一の富士山に登れみんなで感激して五合目に帰ると、杉村氏も「せっかく来たのだから、これから登る。」と言い昼少し前だったが登りだした。
 走るように登りだした杉村氏は、小銭も行動食も忘れていった。何とか水だけでしのいでいたが、八合目あたりで力尽き、一大決心をしたらしい。恥ずかしいのを押さえ「あのー、おもらいですけど食料を恵んで下さい。」と周りの登山者に頼んだ。「いやいやー、おしょすがった、ほんでも、ちゃんとくれでけだったよ。」と杉村氏は感謝していた。おかげで無事山頂まで登ったらしいが、ちよいと早すぎたような気がしたが、定かではない。この勇気ある行動?を聞き、私も最悪の場合に試そうと思っているが、まだ実現していない。

 さらにこの時は、いろんなアクシデントがあって、我ら3名も食料を持った藤井氏とはぐれ、一時腹を空かして登った。ラーメンは高価なためパンで餓えをいやし、藤井氏が来るのを待ったが杉村氏の様には出来なかった。また、スジコ入りのおにぎりを食べさせた妙法寺の息子さんと、高山病の治療に行った病院でバッタリと会った。スジコにあたったらしく、治療に来たとのことだった。お詫びと、お礼を言って帰途についた。